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「“喧嘩を売る気ですか”と中原誠が」「師匠を破門に」ひふみん加藤一二三の珍妙エピソード…対局経験棋士の記憶「病床でも藤井聡太の棋譜を」
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田丸昇Noboru Tamaru
photograph byJIJI PRESS
posted2026/01/29 06:05
2016年12月、62歳差の対局を終えた加藤一二三・九段と藤井聡太四段
加藤が対局で相手側に回ったのは盤面を客観的に見る手段で、後年に「ひふみんアイ(eye)」と呼ばれた。ただ棋士は頭の中で盤面を反転できるので、本来は移動する必要はない。米長邦雄永世棋聖は背後に回った加藤に対して、同じように加藤側に回ってユーモラスに対抗した。また米長は加藤が咳ばらいをするたびに、片手を頬に当てて避ける仕草をした。
突然「師匠を破門」にしたことも
加藤は対局開始前に、盤を自分が望む位置に動かすことがよくあった。
良くないことだが、大先輩の加藤に異議を唱える棋士は少なかった。ある日、加藤と同室になった中原は、2面の盤の位置に不自然さを感じた。加藤側の盤がかなり寄っていて、中原側の盤は圧迫されている感じだった。中原が「盤を少しずらしてくれませんか」と言うと、加藤は「もう決まっていますから」と応じなかった。やがて中原が「喧嘩を売る気ですか」と強い口調で言うと、加藤が「いやいや、他意はありません」と応じて盤を動かし、その場は収まったという。
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このように、加藤は“勝手”な傾向があった。
1998年に加藤は将棋連盟の理事会に、南口繁一九段(当時は故人)との師弟関係の解消を申し入れた。受け入れなければ提訴するという。理事会は加藤に気圧されてそれを承認した。弟子が師匠を「破門」する前代未聞の事態となった。加藤はその理由として、「親が勝手に決めた名目上の師弟関係で、私はいっさい世話にならなかった」と語った。しかし実際は、小学6年から高校卒業までの6年半に京都の南口の自宅で起居し、「家族以上に可愛がってもらった」と語ったことがある。
加藤と南口の間に何か軋轢があったのだろうか……真相は不明だ。その後、加藤は個人的に親しかった剱持松二八段の弟子になった。
記録係、対局中に見た加藤の姿
私は奨励会時代に加藤の対局で記録係を何回も務めた。若い頃の加藤は少食で、ラーメンをよく注文した。好物というよりも、対局中は余計なことは考えたくない、という理由だった。後年に天ぷら定食やウナ重ばかりを注文したのも同じ理由による。
40代以降の加藤は健啖ぶりがよく知られた。あるタイトル戦の昼食では、「トースト8枚、2倍のオムレツ、カマンベールチーズ、ミックスジュース、それにカルピスをジャーにいっぱい」と注文し、すべて平らげたという。おやつには、板チョコ(明治製菓を指定)を6枚も食べた。
加藤が対局で大食したのは、家庭ではダイエットのために減食させられたからではないか、との見方もあったが真偽のほどは不明だ。
私は2015年に加藤と20年ぶりに対局した。

