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「チャレンジ精神に溢れ、人に愛され信頼される技術者を育成する」ホンダF1の現場メカニックに受け継がれる本田宗一郎の精神
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尾張正博Masahiro Owari
photograph byMasahiro Owari
posted2026/01/17 11:02
F1の現場で活躍していた頃の中野氏(左)
ホンダがF1から撤退した08年限りで現場から遠ざかっていた10年間のブランクを埋めるため、吉野は現場に復帰することが決まった18年後半から、寝る暇を惜しんでパワーユニットのことを学んだ。19年に現場復帰してからも、吉野はわからないことがあれば、後輩であろうと中野にも教えを乞いに行くことを厭わなかった。その努力は2年後に実を結ぶ。21年にホンダはレッドブルと組んでマックス・フェルスタッペンのドライバーズチャンピオンを獲得。抱き合って喜ぶホンダのスタッフの中に吉野の姿があった。
その翌年のベルギーGPでは、吉野は優勝したレッドブルを代表して表彰台にも上がった。中野はその光景をテレビを通して見ていた。
「尊敬するメカニックである吉野さんが、ホンダを代表してF1の表彰台に立っている。こんなことは今までなかったし、これからもないでしょう。ホンダのメカニックのひとりとして、本当にありがたいと思いました」
受け継がれる本田宗一郎の精神
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吉野の勇姿を表彰台の下で見ていた法原も特別な思いを抱いていた。89年にホンダに入社した吉野が最初に配属されたのは狭山工場のサービスセンター。その1年後、同じ部署に新入社員として配属されたのが法原だった。ふたりはその後、ホンダの第3期F1活動の当初からエンジンメカニックとして現場で共に汗を流した先輩・後輩だった。
「組み立て出身のうちのメカがF1の表彰台に乗っている。鳥肌もんでした」
じつは吉野も法原も、中野にとってメカニックとしての先輩だけでなく、ホンダ学園の先輩でもあった。中野はいまなお母校で市販車の自動車整備士だけでなく、高度専門士として自動車の研究・開発者を目指す学生の指導を行なっている。
ホンダ学園には、創設された目的がいまもエントランスに刻まれている。
「チャレンジ精神に溢れ、人に愛され信頼される技術者を育成する」
いいモノを作るには人づくりが大切だという、本田宗一郎の教えだ。いつの日か、中野の教えを受け継ぎ、吉野と法原と同じように尊敬されるようなF1のメカニックが、ホンダ学園から羽ばたくことを願っている。


