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「チャレンジ精神に溢れ、人に愛され信頼される技術者を育成する」ホンダF1の現場メカニックに受け継がれる本田宗一郎の精神
posted2026/01/17 11:02
F1の現場で活躍していた頃の中野氏(左)
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尾張正博Masahiro Owari
photograph by
Masahiro Owari
2025年の最終戦はホンダ・レーシング(HRC)のふたりのベテランにとって、現場でのラストレースとなった。そのふたりとはチーフメカニックとして、レッドブルで仕事をしてきた吉野誠とレーシング・ブルズで仕事をしてきた法原淳だ。
退任するふたりを見ながら、私はもうひとりのチーフメカニックの記憶が蘇った。
ホンダがマクラーレンと組んでF1に復帰した15年からチーフメカニックとして活躍した中野健二。17年にはホンダとマクラーレンの関係が行き詰まったが、そんな状況でもマクラーレンのスタッフから信頼される存在だった。その信頼は18年からパートナーを組んだトロロッソ・ホンダ時代になっても変わらなかった。
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しかし、中野は19年の夏休み前の一戦となったハンガリーGPを最後に帰国。母校であるホンダ学園に赴任した。ホンダ学園は本田宗一郎によって1976年に設立されたメカニックや技術者を育てる学校だ。本田は初代校長も務めた。
中野には忸怩たる思いがあった。それは、F1活動から離れたことではない。先輩から受け継いだ「チームメカニック」というバトンを後輩につなぐことができず、先輩に戻したことだった。
現場に生きた経験
ホンダは19年からトロロッソに加えてレッドブルにもパワーユニットを供給開始。ホンダのチームメカニックとしてレッドブルの現場に復帰したのが、中野の先輩である吉野だった。19年の夏休み後にトロロッソのチーフメカニックとして現場復帰した法原もまた、中野の先輩だった。
「自分がチーフメカニックとしての職務をやりきっていれば、先輩にバトンを戻すことはなかった」という思いを胸に、中野は帰国の途についた。しかし、吉野には「後輩からバトンを戻された」という思いはなかった。
「ハイブリッド時代のF1の知識は中野さんの方が豊富で、彼が帰国する夏まで彼からいろいろと教わりました。その経験がその後の私の仕事にも大きく役立ちました」

