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「背筋がゾクっとした」ジャンボ尾崎が真っ暗な庭でうずくまって…旧知の記者が目撃した“スーパースターの苦悩”「クラブ抱えていないと、眠れないんだよ」

posted2026/01/05 06:00

 
「背筋がゾクっとした」ジャンボ尾崎が真っ暗な庭でうずくまって…旧知の記者が目撃した“スーパースターの苦悩”「クラブ抱えていないと、眠れないんだよ」<Number Web> photograph by BUNGEISHUNJU

ゴルフ界に大きな功績を残し、78歳でこの世を去った尾崎将司(1984年撮影)

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三田村昌鳳

三田村昌鳳Shoho Mitamura

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BUNGEISHUNJU

 プロゴルファー・尾崎将司が、12月23日、S状結腸がんでこの世を去った。壮絶な最後だったと聞く。

 尾崎将司というより「ジャンボ尾崎」の愛称が馴染み深い。ちょうど僕がゴルフ・マスコミの世界に入ったのと、ほぼ同じ時期の1970年に尾崎は鮮烈なプロデビューをし、たちまち時代の寵児となった。1973年には、東洋人初のマスターズトップ10入りの8位。国内では年間9勝(海外1勝)を果たすなどその強さを嫌というほど見せつけた。そればかりか、それまでプロゴルファーという、とうていアスリート風でなかったものの印象を、一気にプロスポーツの世界に押し上げた人物といっていい。

ジャンボの心情を丸裸にしたい

 この『ナンバー』誌で尾崎に初めてインタビューしたのは、1981年だった。賞金王から遠ざかり、いわゆるスランプの真っ只中にいた尾崎のインタビュー記事だった。

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 タイトルも、はっきりと覚えている。

「尾崎将司の内部に棲む『反乱分子』」という刺激的なものだった。不調のさなか、誰もが反対したアメリカ遠征に僕も同行し、21日間の一部始終を記事にした。尾崎は「もっと大きなゴルフをしたい」と言い、「その目標は、日本じゃない。アメリカの本場の空気や、彼らの真の実力を感じ取らないと、目指すものが見えない」とアメリカ遠征の理由を語った。

 次に、『ナンバー』誌でインタビューをしたのは、その3年後の1984年だった。インタビューだけでなく、表紙も尾崎、そして第1特集で当時、誰にも見せたことのない習志野の書斎を撮影した。

 タイトルは「しぼんでたまるか」だったと記憶している。

 ふたつのインタビューは、絶好調のスポーツ選手ではなく、むしろ世間では、「落ちぶれた、2度と這い上がれない」と思われている選手にスポットライトを当てたようなものだった。

 尾崎は必ず復活しますよ、いま、その心情を吐露させましょうと編集長にかけあって実現した企画だった。普段は、スランプ中のアスリートのもがきや苦悩、自分自身との格闘は見ることができない、だからこそ丸裸にしたいという取材者側のエゴだった。

【次ページ】 ジャンボに怒鳴られた「お前、何しにきたんだ?」

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#ジャンボ尾崎
#尾崎将司

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