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京大合格者も…“文武両道”愛工大名電バレー部の部活改革がスゴい「バレーボールだけやってていいの?」私学スポーツ強豪校が本気で考えた“その後の人生” 

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田中夕子

田中夕子Yuko Tanaka

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posted2025/12/30 11:04

京大合格者も…“文武両道”愛工大名電バレー部の部活改革がスゴい「バレーボールだけやってていいの?」私学スポーツ強豪校が本気で考えた“その後の人生”<Number Web> photograph by Yuko Tanaka

3年ぶりに春高バレー出場を決めた愛工大名電高校。初戦は1月5日、大阪の常翔学園と対戦する

 実は北川監督は2000年から32歳で引退した2010年まで、パナソニック(現・大阪ブルテオン)と豊田合成(現・ウルフドッグス名古屋)でプレーした元選手だった。日本代表にも選出された経歴をもち、いわばバレーボール一筋の人生を歩んできた。ただ、一方で「一生バレーボールだけでは生きていけない」という現実にも直面したという。

「選手としての目標が日本代表に入ることでした。その夢がかなった後、じゃあこの後俺はどうするんだと考えるようになり、高校の恩師に話したら、後を継がないか、と。その時、自分が持つ技術や知識を教える側の仕事に就こうと思ったのですが、めちゃくちゃ苦労しました」

 母校卒業後に進学した亜細亜大ではバレーボールに明け暮れ、何を学ぶと考えることもなく、卒業するので精いっぱい。教職課程も修得していなかった。まだ引退する前、教師になると決めた28歳で愛知学院大に編入。現役生活の傍ら、教育実習をこなしながら2年間で必要な単位をすべて取得した。所属チームの理解はもちろん、大学の教授や学友、さまざまな人の支えや助けを借りながらの日々を「とにかく大変だった」と振り返る。

息子が入部「勉強も頑張ってほしい」

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 さらに、現在同校2年生で星城との愛知大会決勝でも活躍した息子・祐真の存在も大きかった。クインシーズ刈谷でプレーする2歳上の姉・美桜に続き息子も小学生からバレーボールを始めた。自身が歩んだようにバレーボール選手としてキャリアを築いてほしいと願う反面、本当にそれだけでいいのかとも考えた。

「普通コースの子たちを見ていると真面目に授業を受けるし、勉強も楽しそうにやっていた。スポーツコースの子たちも元気で明るい、いい子たちが揃っているのは間違いないけれど、授業の質を比べれば明らかに差が生じます。名電の学力も上がって、授業の質や進学状況もよくなっている中で、息子にどんな時間を過ごしてほしいかと考えた時、バレーボールだけの道ではなく、勉強も頑張れる環境がいいな、と。そう考えたのも文武両道に舵を切る大きな決め手になりました」

【次ページ】 文武両道が示す“星城撃破”の意味

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#北川祐介

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