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プロ野球PRESSBACK NUMBER
ヤクルト監督・広岡達朗の予言「阪急には7戦で勝つ」球史に残る日本シリーズのウラ側「絶対、外には漏らせない情報で…」阪急・山田久志が語る“異変”
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長谷川晶一Shoichi Hasegawa
photograph bySankei Shimbun
posted2025/12/11 12:01
1978年10月14日、日本シリーズ初戦を前に取材に応じるヤクルト・広岡達朗監督と阪急・上田利治監督。両者の心理戦はすでに始まっていた
痛みを抱えつつマウンドに上がった。やはり、本来のピッチングからはほど遠かった。
「第1戦はひどい試合になってしまったんだよね。自分でも“こんなはずじゃない”っていうくらい打ち込まれたし、最後なんかサヨナラされてもおかしくないような内容でしたから」
「あの山田から5点も…」ヤクルトが敗戦で得た勇気
6対5、ブレーブス1点のリードで迎えた9回裏、山田は2死満塁の大ピンチを迎えていた。打席には杉浦亨(現・享)。杉浦は徹底的に食らいついていた。上田監督は「技やない。山田はハートで投げるんや」と続投を決断する。山田が言う。
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「あれは満塁でしたよね。ツーアウト満塁、フルカウントになって、ファウル、ファウル、ファウルで粘られてね……」
左打席に入っていた杉浦が振り返る。
「よく覚えていますよ。確か六球ぐらいファウルで粘ったんじゃなかったかな? その何球目かにライトポール際に大きなファウルを打っているんです。それでも山田さんは真っ直ぐばっかりですよ。もう一か八かですよね。こっちも“山田さんなら絶対に逃げない。真っ直ぐしかない”と信じてストレートを狙っていました」
しかし、最後に杉浦が放った打球は力ないフライとなり、セカンド・マルカーノのグラブに収まった。山田はかろうじて、勝利投手となった。
余談ではあるが、このときから14年後となる1992(平成4)年、ベテランとなった杉浦は、西武ライオンズとの日本シリーズ初戦、延長12回裏、1死満塁の大チャンスで代打サヨナラ満塁ホームランを放つことになるのだが、それはまだ先の話だ。
杉浦に対する山田の投球は11球に及んだ。山田が続ける。
「勝つには勝ったけど、それまでのシリーズと比べて明らかにコンディションがよくなかった。その点は不安を抱えたままでのスタートとなりましたね」
先に紹介した、「敗れはしたけれど、山田から5点を奪ったことは大きな自信となった」という大矢の言葉を告げると、山田は小さく笑った。
「そうでしょうね」
言葉は少なかったけれど、「この私から5点も取れば、スワローズサイドが自信を持つのも当然のことだろう」という、エースのプライドが垣間見えた瞬間だった。
山田が万全な状態でないことは、もちろんスワローズナインは知らない。だからこそ、「あの山田から5点も奪った」という事実が彼らに勇気を与えた。
勝つには勝った。けれども、初戦終了後、山田の胸の内には重苦しい感覚だけが残った。
(このチーム、なかなかやるな……)
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