第102回箱根駅伝(2026)BACK NUMBER
「才能がすべてではない…」雑草軍団、中央学院大学主将の近田陽路が心に期す、最後の箱根駅伝でのシード権獲得
posted2025/12/18 10:01
箱根駅伝予選会ではチームトップタイムを記録し、中央学院大学をトップ通過に導いた近田陽路
text by

杉園昌之Masayuki Sugizono
photograph by
Yuki Suenaga
ユニホームは派手でも、中身は無骨。『フラッシュイエロー』のシンボルカラーで知られる中央学院大学の持ち味は、昔もいまも変わらない。「粘っこい走りが、うちらしさですかね」。1992年からチームを率いる川崎勇二監督は高校時代までは無名に近い選手たちの能力を伸ばし、箱根駅伝で通算10度のシード権を獲得してきた。時代が移ろっても、歯に衣着せぬ物言いも健在。名伯楽は、誤解を恐れずにはっきり言う。
「うちにはもともとポテンシャルの高い選手はいないので。なにくそ根性がないと、箱根駅伝なんて戦えません。それでシードも取ってきたし、上位(最高成績は総合3位)に行きましたから」
箱根駅伝予選会では、エリート集団の順天堂大学などを抑え、堂々のトップ通過で3年連続25度目の出場を決めた。1時間2分台でまとめたチーム内の上位3人を見れば、いずれも大学入学後にぐんと伸びた選手たちである。主要区間の3区を志願する市川大世(3年・巨摩高出身)、裏のエース区間と呼ばれる9区に名乗りを上げる長部虎太郎(2年・東農大三高出身)はいずれも高校時代に全国大会の出場はないが、いまや「区間5位以内を目指します」と宣言する。
雑草軍団をまとめる主将の近田陽路(4年)は、その代表格。予選会では狙い通り日本勢トップの1時間02分04秒でフィニッシュした。強豪大のエースと比べても見劣りはしないくらいに成長しているが、高校生の頃は世代のトップランナーたちと大きな差があったという。2021年の全国高校駅伝に出場した豊川高時代をふと思い出すと、苦い顔になる。3区で出走し、区間33位。
「一応、都大路(全国高校駅伝)を一度走っていますが、目立たない後ろのほうをひっそりという感じでした。高校、中学校の頃はとくに速くもなくて、大舞台に立つ機会はほとんどなかったですから」
それでも、大学では劣等感を抱えたまま、やり過ごさなかった。川崎監督に鍛えられ、ハングリー精神を養ってきた。トラックよりもロードのハーフマラソンにこだわり、4年間で計20本のレースに出場。ほかのトップ選手たちに比べても、あきらかにその本数は多い。箱根駅伝の区間距離を見据えて、持ち前のスタミナに磨きをかけた。毎年、自己記録を1分ほど縮めている。
ただ、正月の本番ではまだ日の目を見ていない。初出走の2年時は9区で区間23位と辛酸をなめ、経験を積んだ3年時は10区を務めるも、シード圏内が見えない位置で淡々とラップを刻み、総合14位で大手町へ。区間11位の結果も虚しく、笑顔はなかった。あの日のやるせない気持ちを、いまも胸に留める。昨年度まで大黒柱として2区を走り続けてきた吉田礼志(現・Honda)がその役目を終えたとき、近田は心に誓った。「エースになる僕が2区を走らないといけない」。自覚と責任をひしひしと感じている。
2区を戦う覚悟
「シード権を取るためには、2区で他大学の主力選手とどれだけ戦えるかがカギになります。その役割を担うのは自分しかいないなって」
失意に暮れた箱根駅伝から1か月。今年2月の学生ハーフマラソンでは日本人学生歴代10位タイとなる1時間0分45秒をマークし、名実ともに学生トップランナーの仲間入り。2区を走るための準備は1年かけて、取り組んできた。難所の権太坂、「戸塚の壁」と呼ばれる急坂を想定し、不得手な起伏の対策にも力を注いだ。夏合宿では坂道のコースで試行錯誤を繰り返し、推進力が生まれる自分なりの上り方も習得した。


