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[元気印の回想]ネルシーニョ「連覇を生んだ規律とマジック」

posted2025/11/24 09:01

 
[元気印の回想]ネルシーニョ「連覇を生んだ規律とマジック」<Number Web> photograph by J.LEAGUE

ベンチで並んで座る松木(左から2番目)とネルシーニョ(左から3番目)

text by

石井宏美

石井宏美Hiromi Ishii

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photograph by

J.LEAGUE

Jリーグ開幕から2連覇を果たしたヴェルディ川崎。華々しい歴史の裏には名参謀の存在がある。黄金期のスター軍団を率いた松木安太郎に共に戦った知将との日々を振り返ってもらった。

 1993年5月15日。日本サッカーの聖地と呼ばれた旧国立競技場で、Jリーグの歴史は幕を開けた。

 ヴェルディ川崎(現東京ヴェルディ)には三浦知良、ラモス瑠偉、武田修宏、北澤豪、柱谷哲二、都並敏史ら日本代表メンバーがずらりと顔を揃えていた。そのスター軍団を率いて'93年、'94年と連覇を果たしたのが松木安太郎だった。そんな彼を名参謀たちが支えた。なかでも'94年のシーズン中にヘッドコーチとして加わったネルシーニョは大きなインパクトを残した。

 松木の7歳年上の彼はヘッドコーチ就任前に名門パルメイラスやコリンチャンスなど10クラブ以上で指揮を執った実力派だ。

「意見が食い違ったこと? それはなかったね。基本的にはネルシーニョの意見を尊重していたし、やっぱりコーチ陣がギクシャクすると選手たちはすぐに気づくし、混乱してしまう。そういうチームはうまくいかないですから」

 Jリーグが開幕した'93年、松木は35歳の若さで監督に抜擢される。突然、勝利が義務づけられた常勝軍団を率いることになり、プレッシャーを感じないわけはなかった。

「結果によってはコーチとしての寿命を縮めることにもなりかねないわけですから、覚悟するまでは葛藤がありました。周りもやめたほうがいいという声ばかり。もしも今、当時と同じような状況でオファーされたら絶対に断るでしょうね。あれは、若いからこそできたチャレンジでした」

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