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ドラフトウラ話《西武育成6位指名》最速153キロ、デッドリフトは240kg…でも所属は3部リーグ “偏差値70超”「名門大の帰国子女」はなぜプロの道へ?
text by

別府響Hibiki Beppu
photograph byAsami Enomoto
posted2025/10/29 11:01
西武から育成6位指名を受けた正木悠馬。高校時代をアメリカで過ごし、本格的に投手をはじめたのは大学からという変わり種だ
「野球も全然強い学校でもなかったし、専門のコーチがいるわけでもなくて。もともとやっていたんで基本的には内野をやっていたんですけど、アメリカってみんな一通りいろいろなポジションをやるんですよ。そこで初めてピッチャーもやって。高校に入ると身長も一気に20cm近く伸びて、自分たちで練習メニューも考えながら試行錯誤してやっていましたね」
つまり、高校卒業に至るまで正木は本格的に野球の指導を受けたこともなければ、プロ野球選手という夢を現実的に抱いたこともなかった。ピッチャーに限れば高校時代に少し「やったことがある」程度で、ほとんど経験すらなかったわけだ。多くの高校球児が夢に見る甲子園も、「もちろん存在は知っていましたけど……」と苦笑する程度の知識でしかなかった。
大学入学時に日本へ…「野球の強さは全く考えず」
高校時代をアメリカで過ごした正木がちょうど大学に進学するタイミングで、両親の帰国が決まった。そのため、大学は日本で進学することになった。
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ただ、前述のような背景である。この時点では正木にとって野球はあくまで「学校の部活動」。当然、その要素が大学選択の基準の上位にくるはずもなく、国際色が豊かで帰国子女入試のシステムもあった上智大学への進学を決めた。
「大学選びでは野球の強さとかは全く考えなかったです(笑)。そもそも野球を続けるかもわかりませんでしたし。スポーツは好きだったので、将来はスポーツビジネスに関われたらいいなと思って、経営学科を選びました」
ただ、実際に入学して部から勧誘を受けると、もともと好きだった野球への興味がふつふつと湧いてきた。強豪校ではない上智大ゆえに、ポジションも経験値など関係なく自由に決められた。「せっかくなら高校でやって楽しかったピッチャーをやろう」と思い、入部を決めた。
「自分のような帰国子女も各学年に1人くらいはいましたし、大学から野球を始めた部員もいました。同期は10人くらいで、部員は全部で50人くらいですかね。数は少ないですけど強豪校で野球をやってきた部員もいます。そういう意味では本当にいろんな部員がいて、おかげで楽しく野球ができました」
上智大も高校時代と同じく野球専門のコーチがいるわけではない。土日の試合を除くと平日の練習は月曜日以外の週4日間だが、都心ど真ん中の千代田区にある大学近くの真田堀グラウンドは狭く、ナイター設備がないため、特に秋以降は授業後の夕方に1時間半程度しか練習時間が取れない。
しかも河川敷にあるグラウンドのため、基本的に雨の日は使用できなくなってしまう。雨上がりでぬかるんだ地面では「キャッチボールくらいしかできない日も多い」(正木)という環境も、いわゆる野球の名門大学と比べれば恵まれているとは言い難い。

