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「オノは人気者だったよ」「実に重要な選手」天才MF小野伸二はオランダ名門で愛された…相棒も地元記者も懐かしむ“欧州タイトルへの日々”
posted2025/10/21 06:15
フェイエノールト時代の小野伸二。その天才的なテクニックはオランダ名門でも愛された
text by

サミンドラ・クンティSamindra Kunti
photograph by
Kazuaki Nishiyama
フェイエは小野獲得へ数カ月調査した
当時のフェイエノールトのテクニカル・ディレクター、ロブ・バーンによると、彼らは数カ月にわたって小野を調査したという。その後、トライアルに招き、彼の家族と面会して小野の人柄にも触れると、フェイエノールトが求めているクオリティーのすべてを備えていると確信した。もちろん商業的な目算もあったが、なによりも選手としての能力、そして人間性に惹かれたのだ。
初のお披露目は華やかに執り行われた。騒々しいサポーターが集結した本拠地デ・カイプの上空に、小野とピエール・ファン・ホーイドンクを乗せたヘリコプターが飛来し、ゆっくりと下降してふたりをピッチに届けた。
オープンな性格と高い知性を備える小野は、ほどなくしてオランダ語のフレーズを口にするようになり、地元のファンを喜ばせた。また常に少なくとも20人ほどの日本の報道陣がフェイエノールトの練習や試合に詰めかけ、彼の一挙一動を母国のファンに伝えていた。
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パフォーマンスもキャラクターも魅力的な小野は、ファン・ホーイドンクやヨン・ダール・トマソン、後半戦から台頭した当時18歳のロビン・ファンペルシ(現フェイエノールト監督で、上田綺世の覚醒を導いている)らが居並ぶチームで、スターのひとりに数えられるようになり、1年目から眩い輝きを放ち、歴史をつくった。
小野とともに勝ち進んだUEFAカップ
フェイエノールトは1970年代に、ヨーロピアンカップ(チャンピオンズリーグの前身)とUEFAカップ(ヨーロッパリーグの前身)を1回ずつ制している。しかし以降は逆にそれらが重荷になってしまい、ことあるごとに自滅するような形で、成功を逃し続けていた。小野が入団した頃には、欧州のタイトルなど、夢のようなものと捉えられていたのだ。
その2001-02シーズンも、国内リーグでは安定を欠き、チャンピオンズリーグではグループステージであっさり敗退。だがその後に回ったUEFAカップで、快進撃が始まった。その口火を切ったのは、欧州に来てまだ4カ月ほどの小野だった。

