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「ストライク1球につき“罰金21万円”」巨人助っ人ピッチャーが証言した(とされる)…「阪神バース55本塁打を阻止せよ」四球攻め作戦は本当なのか?
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細田昌志Masashi Hosoda
photograph bySankei Shimbun
posted2025/10/02 17:01
巨人のカムストック。来日1年目(1985年)は江川卓、斎藤雅樹、西本聖に次ぐ8勝をマークした
誰もが「スクリューボールの投げすぎ」と思ったはずだが「西武とのオープン戦(3月31日=後楽園)の時から痛みを感じていた。でも投げられない状態ではないから我慢してきた」(『日刊スポーツ』1985年5月11日付)と本人が述懐したところを見ると、一時的なものではなく、慢性的なものだったのかもしれない。
全治2週間のはずが思いのほか重症で、復帰は1カ月後の6月12日のヤクルト戦(金沢)まで持ち越された。しかし、この試合、初回に広沢克己に3ランを打たれるなど、4点を失って2回KOと、またもやほろ苦いリスタートとなった。
それでも、22日の中日戦(ナゴヤ)では完投勝ち、7月17日の横浜大洋戦(後楽園)では、満塁で走者一掃の二塁打で決勝点を叩き出し完投で4勝目を飾っている。実はこのタイムリーには陰の功労者がいた。これもまた江川である。DH制で長くプレーしてきたカムストックは、この数年、打席に入った経験がほとんどなかった。そこで、打撃に定評のある江川がバッティングの手ほどきをしたのだ。
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クロマティが日本滞在中のプロ野球生活を赤裸々に綴った『さらばサムライ野球』(講談社文庫)には次の記述がある。
《カムストックは、日本人選手に溶け込もうとしたという意味では、模範的なガイジンだった。(中略)チームメイトと親しもう、選手たちから受け入れられよう、と一生懸命に努力していた。西本と江川は感動して、カムストックを色々な面で助けていた》
ナインとの良好な関係もあってか、オールスター明け27日のヤクルト戦(神宮)でも5勝目。江川(7勝2敗)、西本(6勝4敗)に次ぐ勝ち星を挙げ(5勝1敗)、巨人先発陣になくてはならない存在となっていた。
「カムストックはコントロールがまるでない」
しかし、苦難は8月から始まった。2日の阪神戦(甲子園)で、岡田にソロホームランを打たれるなど4回途中KO。7日の横浜大洋戦でも4点のリードを守れず6回途中KO。再びのリベンジを期して臨んだ14日の阪神戦(後楽園)でも5回KOと散々な内容となった。
これらの試合だがいずれもスクリューボールを狙い打ちされている。2日の阪神戦で岡田に打たれたホームランも、7日の大洋戦で屋鋪要に打たれた逆転3ランも、14日の阪神戦で掛布に打たれたソロホームランも、いずれもスクリューボールである。スクリューが通用しなくなった理由は何か。実際はさほど威力がなかったのか。その原因を探ると、カムストック自身が制球難に苦しんでいることに突き当たった。
8月の登板試合の与四球は以下の通りとなる(カッコ内が与四球数)。2日阪神(4)、7日横浜大洋(5)、14日阪神(3)、20日中日(5)、25日広島(7)。

