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「ストライク1球につき“罰金21万円”」巨人助っ人ピッチャーが証言した(とされる)…「阪神バース55本塁打を阻止せよ」四球攻め作戦は本当なのか?
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細田昌志Masashi Hosoda
photograph bySankei Shimbun
posted2025/10/02 17:01
巨人のカムストック。来日1年目(1985年)は江川卓、斎藤雅樹、西本聖に次ぐ8勝をマークした
《巨人の先発カムストックはコントロールがまるでない。(中略)カムストックは四球かと思えば、連続三振と球道が定まらない選手だ》(『読売新聞』1985年8月8日付)
そもそも、カムストックの投げるスクリューボールとは次のようなものである。
「ストライクゾーンをかすめ、ストンと打つポイントから約30センチも外角ボールゾーンに落ちたもの、見送ればボールですが、バッターが思わず手を出してしまったのも仕方ない微妙なもの」(元プロ野球審判員の鷲谷亘のコメント/『日刊スポーツ』1985年2月22日付)
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つまり、思うようにカウントが稼げたら、スクリューを決め球にも見せ球にも出来るのだが、ボールが先行すればスクリューでストライクを取りにいくほかなく、甘く入ったところをガツンと叩かれているのだ。
そんな彼の苦悩を知ってか『日刊スポーツ』(1985年8月11日付)には次のコラムが載っている。
《もっと日本で稼ぐには、制球難を克服する以外にない。こんな状態が続けば、年内にユニホームを脱ぐ可能性さえある。カムストックにはそれが一番怖い。だからこそ、アメリカではしたこともない連日のピッチングにも黙ってうなづいたのだ》
真夏の連日の投げ込みの甲斐あってか、20日の中日戦(後楽園)では7回2/3を2点に抑え、1カ月ぶりの勝利。25日の広島戦(広島)では7回1/3を自責点1に抑えて7勝目を飾り、チームも阪神、広島を抑えて単独首位に立った。ここでもカムストックの好投が光ったのである。
「ストライク1球につき罰金1000ドル(約21万円)」
しかし、勢いはここまでだった。その後は相変わらず制球難に苦しみ、いずれも早い回でKO。9月21日の広島戦(後楽園)を完投で飾ったのを最後に勝ち星は止まり、結局、この年の成績は8勝8敗に終わった。
インターネット百科事典「ウィキペディア」のキース・カムストックの頁に「人物・エピソード」なる欄があり次の記述がある。
《1985年シーズン中、2試合を残して当時の王貞治監督の持つシーズン最多本塁打記録55本にランディ・バースが54本と迫っていた。残り2試合の対戦相手は巨人であり、巨人投手陣はエースの江川卓以外、バースを事実上敬遠する。カムストックは、後日自らの著書で当時を振り返り、「ある投手コーチから、彼にストライクを投げた場合、1球につき罰金1000ドルが課せられていた」と後述している》(原文ママ)
ただし、10月24日の最終戦に登板した投手にカムストックは含まれない。斎藤雅樹、宮本和知、橋本敬司、定岡正二、金城基泰の5名で、バースは5打席中4度も敬遠されているが、3打席目には斎藤の投げた高めのストレートを、センター前に打ち返している。
「彼にストライクを投げた場合、1球につき罰金1000ドル(当時のレートで約21万円)が科せられた」と、カムストックが述べたとされる書籍の原典に筆者はあたっておらず、発言の真偽を問うことは出来ない。が、巨人入団の経緯と、3A時代にはなかった好待遇、真夏の投げ込みに唯々諾々と従った従順さを思うと「ない話ではない」とは思う。ただ、最終戦に登板していない入団1年目の助っ人に、そこまで神経質な指令を耳に入れるとも思えず、聞き手であるロバート・ホワイティングに乗せられて、つい口を滑らせたように見えなくもない。
ともかく、カムストックの日本球界1年目は終わった。シーズンオフに入って、噂されたトレードも自由契約もなく、フロントからは「来季も契約を結ぶ」と通達された。
カムストック本人は、当然、次のシーズンもローテーションを任されるものと思ったが、そうはならなかった。

