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PL学園はなぜ“甲子園から消えた”のか? 「3年神様、2年平民、1年奴隷」暴力事件で出場辞退、PL花火も6年連続で中止に…高校野球の超名門は今

posted2025/08/14 06:00

 
PL学園はなぜ“甲子園から消えた”のか? 「3年神様、2年平民、1年奴隷」暴力事件で出場辞退、PL花火も6年連続で中止に…高校野球の超名門は今<Number Web> photograph by JIJI PRESS

かつて甲子園の名物になっていたPL学園アルプスの「人文字」

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かつて高校野球界を席巻したPL学園。春夏合わせて甲子園優勝7回を誇った名門は、なぜ甲子園から消えたのか――PL学園の真実を短縮版でお届けする。

 春夏合わせて甲子園優勝7回を誇った高校野球の超名門・PL学園。1980年代、桑田真澄と清原和博のKKコンビが5季連続で甲子園に出場し、2度の日本一。1987年には立浪和義や片岡篤史らが春夏連覇を遂げた。アルプス席で巨大な人文字を描き、大阪の地図を描いたかと思えば一瞬にして日本列島の地図に転じるマスゲームのような応援も繰り広げ、絶大な人気を誇った。当時の野球少年たちは、ユニフォームの下にぶら下げたアミュレット(御守り)をギュッと握りしめ、祈りを捧げるPLナインの所作を真似したものだ。

 しかし、選手の全員が研志寮に暮らす野球部には、「3年神様、2年平民、1年奴隷」という厳格な上下関係があり、意図が不明なルールがいくつも存在した。同時にそれまで密接に結びついていた「神道系の新宗教であるPL教団」と「幼稚園からの一貫校であるPL学園」、そして「KKコンビをはじめ数多のプロ野球選手を輩出した硬式野球部」が、平成の時代に入って三者の関係にひずみが生まれてゆく。

 2000年代以降は度重なる暴力事件(不祥事)の発覚によって信頼を失っていき、2001年には先輩が後輩をパイプ椅子で殴打する事件が夏の組み合わせ抽選会直前に明るみになり、3年生は最後の大阪大会を出場辞退。

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 この頃からPL教団とPL学園野球部の関係は瓦解し、教団もかつてのように浄財を投じることはなくなっていく。そしていつしか大阪の雄の座はPLから大阪桐蔭へ移る。

永遠の学園は今…

 現在、PL学園高の生徒数は3学年あわせて39人しかいない。中学の生徒数はそれよりも少ない約35人。野球部が強かった頃は、もともとの信者ではなくとも、両親ともに入信すれば入学が許されていた。だが、現在は信仰心の厚い信者しか入学を許されていない。永遠(とわ)の学園とうたわれた学校は今、廃校の危機にある。

 そして大阪の夏の風物詩だった花火大会も、2019年を最後に開催されていない。中止となった表向きの理由は「コロナ禍」だが、コロナ禍が明けても再開する気配はない。

 梅雨が明けたばかりの今年7月上旬の朝、私は喜志駅からPL学園までの通学路を歩いた。すると学園の校舎からは校歌のインストゥルメンタルが流れ始めて……。

 PL学園野球部が衰退した理由、そして現在の様子は本編で深く描かれている。

 <続く>

 この文章の本編は、以下のリンクからお読みいただけます。

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