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甲子園の風BACK NUMBER
「蔦文也は本当に名監督だったのか?」1年前の池田高校記事が炎上、関係者も不快感…それでも記者が“再び徳島へ向かう”まで「致命的な事実を見落としたのか」
posted2026/07/27 11:00
池田高校を率いて甲子園3度優勝。屈指の名将として知られる蔦文也
text by

田中仰Aogu Tanaka
photograph by
BUNGEISHUNJU
今回は、本書の第1章「発端」から、昨夏の池田高校ルポルタージュ記事に批判が集まり、その後、再取材で池田町へ向かう場面を紹介する。【全2回の1回目/第2回も公開中】※肩書などはすべて取材時のもの
翌月、わたしは孫の哲一朗や校長の原、監督の井上、そしてコーチだった川原らへの取材を元に、連載記事を出した。蔦を取り上げた三本の記事は、それぞれ次の見出しでナンバーWebから公開された。
「今さら英雄を悪く言うな」記事に批判
#1《夏春連覇“あの名門公立校〞なぜ甲子園から消えた?「美談は言わないよ」現地取材でポツリ…日本中が熱狂「神様になった監督」池田高野球部のナゾを追う》
#2《高校野球の名門・池田高に驚愕の新証言「少しずつ蔦文也はおかしくなっていったんよ」当時コーチが断言する“カリスマ名将の異変〞…徳島現地で取材》
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#3《「金の好きな欲望ジジイ」甲子園連覇の名将に40年越しの告発文…“日本で最も愛された監督〞蔦文也は何者だったのか? あのPL学園との名試合“本当の敗因〞》
蔦への敬意を忘れずに書いたつもりだった。監督晩年に講演会で現場から離れたとはいえ、蔦その人以外に、山間の公立高校が甲子園で奇跡を起こすことはできなかっただろう。野球の指導に長けた名監督ではなかったが、池田の快進撃は町民の視線を外へと開かせた。その事実こそが蔦を英雄たらしめている、と。
記事の反応は否定的なものが多かったと記憶する。あるポータルサイトのコメント欄は、9割方が批判であった。「今さら英雄を悪く言うな」「死人に口なしではないか」そのようなコメントが散見された。
記事を最後まで読んだ上での感想だろうか、と思わないでもなかった。しかし、過激なタイトルで読者の興味を惹くことも、そのタイトルが原因で反感を持たれるのも、Web記事の宿命である。
だから批判の声も仕方のないものと受け止めた。それよりも、わたしの心をざわつかせたのは、名状しがたい違和感だった。

