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「秋の姿に戻るのは難しい。でも…」甲子園“優勝候補の一角”東洋大姫路…靭帯損傷“かつての背番号1”が明かす胸の内「もう一度、皆と野球がしたい」

posted2025/08/08 11:01

 
「秋の姿に戻るのは難しい。でも…」甲子園“優勝候補の一角”東洋大姫路…靭帯損傷“かつての背番号1”が明かす胸の内「もう一度、皆と野球がしたい」<Number Web> photograph by JIJI PRESS

甲子園で優勝候補に挙げられる兵庫の東洋大姫路。春までエースだった阪下漣は靭帯損傷の影響もあり、今夏は背番号10を背負う

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沢井史

沢井史Fumi Sawai

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 今年も幕を開けた夏の甲子園。熱戦が続く中、優勝候補の一角と目されるのが兵庫の東洋大姫路だ。だが、同校で春までエース番号を背負った快腕は、県大会で一度もマウンドに上がることはなかった。果たしてそこには何があったのだろうか。《NumberWebレポート全2回の2回目/最初から読む》

 今夏の甲子園で優勝候補の一角と目されている兵庫の東洋大姫路。そのエースとして、下級生の頃から活躍していたのが、最速147キロを誇る本格派の阪下漣だった。

 だが、その阪下は春に右肘の靭帯を断裂。その後は保存療法を選び、リハビリに努めてきていた。

最後まで「投げなかった」兵庫大会

 県大会では準決勝、決勝ではブルペンに入っていた。

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 ただ、時折抜けるボールが目に付き、打者に対して全力で投じるとなると不安そうにも見えた。阪下に現状を尋ねると、本人は澱みなくこう口にしていた。

「県大会の中盤くらいから投げて甲子園に行けたらベストだったんですけど、組み合わせの関係で投げる機会がなかったんです」

 実は準決勝の小野戦では点差が離れた7回表に登板する可能性があった。

 4度投げた打者相手の登板で「自分の中では4回目が一番出来が良かったんです。それが小野高校との試合前でした」と本人は振り返っていた。

 だが、6回裏でコールドゲームが成立したため、登板は幻となった。それでも阪下は下を向かず、決勝戦で先発したエース番号「1」を背負う木下鷹大を鼓舞し続けていた。

「決勝までの試合で木下が先発すれば“頼んだぞ”とか声は掛け続けてきました。自分はサポートに回って、アクシデントがあった時に自分がいつでも行けるように準備はしていました」

【次ページ】 「もう一度チームメイトと野球をやりたい」

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