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涙の落選から1年…天才リベロ小川智大(29歳)が再び五輪を目指すと決めた日「1個ずつやっていこうと、やっと思えるようになった」
text by

田中夕子Yuko Tanaka
photograph byYuki Suenaga
posted2025/07/22 11:04
再びオリンピックの舞台を目指すことを決めたバレーボール男子日本代表のリベロ小川智大(29歳)
試合に出れば出るだけ、収穫も課題もある。そう言いながらも、そのすべてが小川にとっては「幸せなこと」だった。
「あの時から、一瞬でここまで来た。そんな感じですね」
小川が振り返る“あの時”とは、1年前の2024年6月。フィリピンで涙した夜だった。
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昨年のVNL予選ラウンド最終戦。相手は奇しくも今年と同じアメリカだった。ひと月後にも戦うパリ五輪を見据えながら勝利を目指す。小川も出場した一戦は3ー0で日本が勝利を収めた。
「ずっと涙が止まらなかった」
その日の夜、パリ五輪に出場する12名のメンバーが発表された。指揮官フィリップ・ブランの「最も嫌な仕事」と沈んだ声で始まったミーティングで、リベロとして名前を呼ばれたのは東京五輪にも出場した山本智大だった。
経験豊富で、特にディグは世界屈指の実力者。強打が顔面に当たってもボールがつながり、日本が得点を取れば笑顔で「俺の1点だ」とアピールする強心臓ぶりは見る者を惹きつける。パリ五輪でも大活躍し、「ヤマモト」の名を世界に轟かせた日本を代表する選手だ。
誰よりその実力を認め、リスペクトするのが小川であり、「トモさんだから一緒にやってこれた」とライバルを飛び越えた特別な関係を築いてきた。
ただ、仕方がないと頭ではわかっていても、実際に自分が目指したパリ五輪への出場が絶たれた瞬間、気づけば涙が流れていた。
「ずっと涙が止まらなかった。人前で泣くのは嫌だって思っていたし、みんなを心配させるってわかっていてもダメでした」


