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「もっと強くならないと」ロッテ・中森俊介が語る“原点”の夏「9回大逆転、空白の青春…」明石商の盟友・来田涼斗(オリックス)と再会し蘇った思い
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梶原紀章(千葉ロッテ広報)Noriaki Kajiwara
photograph byChiba Lotte Marines
posted2025/07/10 11:02

思い出深い球場で再開したロッテ・中森とオリックス・来田
「もう気持ちだけでした」と振り返る勝負球はインハイのストレート。忘れもしない一球。軸足の感覚がほぼない中で投じた魂の一球。プロ入り5年目の今もそのシーンは鮮明に覚えている。
「ボクと一塁手の間くらいにフライが飛んだ。それをボクが走ってキャッチして試合終了となった」と大ピンチをしのいだ場面を振り返る。
「身体が弱くてみんなに迷惑をかけた。2年の時はずっと調子が悪かった。身体も不調。だましだましだった。先輩に投げてもらって勝つことが出来た。最後にようやく完投できた。もっと強くならないとダメだと思いました。スピードは力を入れたら出せたけど、なかなか力を入れられる状態ではなかった。まずは身体から。その悔しさは今、生きている」
履正社に「ボコボコにやられた」夏の日
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2年春から右ひじ痛を抱えており、なかなか思うようなピッチングが出来なかった。完投勝利したのもこの決勝戦が初めて。先輩、来田ら仲間たちに助けられながらたどり着いた甲子園だった。あの時の悔しい思いがあるからこそ、プロに入ってからは入念に身体のケアを行い、ウェートなどで強靭な身体作りを行う。
全国制覇を目指して挑んだ高2夏の甲子園ではベスト4で履正社(大阪)に敗れて涙した。
「夏は甲子園に出る事ではなくて全国制覇を目指していた。春がベスト4だったので、夏はなんとか全国制覇するという目標を持っていた。だけど履正社にボコボコに打たれました」
その悔しさをぶつけようと挑んだ高校3年、最後の一年。2020年には世界的なパンデミックが襲い掛かった。出場が決まっていた春の選抜大会は新型コロナウィルス感染症の影響で中止。部活動は制限され、学校は休校となり自宅待機の日々が続いた。そして悲しき高3の夏が訪れた。
襲いかかったコロナ禍「空白」の青春
「春の甲子園も決まっていたけど中止になって。4月からは2カ月間くらい休校で学校にいけなかった。家でやれることはウェートくらい。棒をとりつけて懸垂とかをずっとやっていた」
活動が制限され、自宅を出る事すら憚られた日々を振り返る。覚悟はしていたが、夏の大会も中止が決まった。
「ボクと来田はそれでも1、2年生の時に甲子園に出られたけど、出たことがない他の同級生は最後の夏がこういう形になって可哀想だなと思った。電話で連絡がまわってきたと思う」
県大会の代わりに兵庫県の代替大会(独自試合)が実施され、また交流試合という形で甲子園にて試合を行うことにはなったが、スタンドには誰もいない無観客試合。それは子供の時から思い描き努力をし続けてきた目標の場所とはかけ離れた光景だった。