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野茂英雄が「俺、アメリカ行けるから」30年ごしの証言で“決定的文書”の存在が明らかに…野茂と団野村が突いた“盲点”「任意引退」のウラ側
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喜瀬雅則Masanori Kise
photograph byKYODO
posted2025/05/30 11:02

野茂は団野村(右)を代理人として交渉に臨み、野球協約を読み込んで決定的な盲点を見つけだした
球団側の主張
しかし、前田は「そんなもんは(野球)協約にない。野茂君にやる理由がない」と、要求を完全拒否している。統一契約書では、選手と球団の契約は「単年」が基本という、その原則論に立てば、球団の主張も決して不合理なものではない。
前田は、野茂とのやりとりの一部も明かしている。
「(故障で)悪くなったら、すぐ辞めさせるのか、って(野茂側が)言うから、それは違うと。簡単に言ったら、複数年契約をして、身分を確保したいということなんや。そやけど実績があるやないかと。そんなもん、即(自由契約に)しない。複数年にして、何の価値がある? 来年クビなんて、常識的に考えたら分かるやろ。アメリカの複数年でも、FAであっちこっち行かれんようにやっとるだけ。野茂はウチが保有権を持ってる」
任意引退という盲点
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第2回交渉はその8日後、12月21日だった。
その第2回交渉の席上で、野茂は当時は認められていなかった代理人交渉を要求。球団の同意も得ぬまま、代理人の団野村が登場したという。当時、日本球界では「代理人交渉」は認められていなかった。だから「エージェント」という存在が初めて、世間に認識されたときだったともいえるだろう。
そこで野茂は改めて「複数年契約」を要求。再び断られると、今度は「メジャー行き」を主張。これが認められなければ「任意引退」すると迫ったという。
これが、野球協約の“盲点”を突く交渉術だった。
野茂は、団野村とともに、プロ野球選手の身分を規定している「統一契約書」を徹底的に調べ上げた。野球協約を熟読すれば、日本の「任意引退」は、元の球団の同意がなければ他球団への移籍はできないことが分かる。
ところが、米国は日本の野球協約の適用外だった。