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ボクシング拳坤一擲BACK NUMBER
「インドを放浪し、歌舞伎町でボコボコにされ…」元世界王者・小堀佑介43歳が明かす“引退後の迷走”「やれることがなにもない…」今は名門ジム会長に
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渋谷淳Jun Shibuya
photograph byTadashi Hosoda
posted2025/05/27 11:05

現在は名門・角海老宝石ボクシングジムの会長を務める小堀佑介(43歳)
「図書館が閉まっていて頭にきたんですけど、要は受験勉強がしたくなかったんでしょう。辞めるきっかけを探していたというか。激怒した母親からは『出ていけ!』と言われました。でも、勉強に興味を持てなかったですし、ほんとできなかったですね。まあ、できないということを理解するだけの頭はあったと思います(笑)」
高校3年生で一人暮らしも「家賃が払えなくなり…」
「出ていけ」と言われて本当に出ていくのだから見どころのある高校3年生ではないか。受験をあきらめ、家を出ると決めた時点でプロボクサーになると決意した。何か夢中になれることと言えばボクシングしかなかった。いくつかのジムを回って角海老宝石ジムに決めた。ろくに相手にされなかったほかのジムとは違い、角海老宝石ジムは入門だけでなく、会費を免除するとまで言ってくれたのだ。
ジム近くの巣鴨にアパートを借りた。松村荘という風呂なし、トイレ共同、四畳半のアパートだった。父親が保証人になってくれた。近所のたこ焼き屋でバイトも始めた。こうして新たな生活が始まったのだが、一人暮らしは想像以上に大変だった。
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「家では洗濯すらしたことがなかったですから、もう生きていくだけで精一杯でした。けっこう温室育ちだったんですよ(笑)。それであっという間に家賃が払えなくなり、絶縁状態の母親に電話しました。はい、滞納していた家賃を払ってもらいました」
高校卒業を目前にした2月にプロデビュー。見事KO勝ちで初陣を飾るものの3戦目でKO負けした。日本タイトルマッチにたどりつくまで6年かかった。もともと世界王者など夢物語でしかないと思っていたが、少しずつ欲も出てきた。腕利きの田中栄民トレーナーがときに小堀を自宅に住まわせるなど公私にわたって教え子をサポートした。世界を目指す同僚の存在も刺激になった。そして萩森健一氏と出会い、世界タイトルマッチが実現し、そのチャンスを見事にものにしたのである。