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羽生結弦が語った“どん底だらけのスケート人生”…なぜ「挫折」を口にしなかったのか?「乗り越えないと生きていけない性分なので…」《NumberTV》
posted2025/05/22 11:08

羽生結弦がNumberTVで「どん底を何度も見てきた」という自らのスケート人生について明かした
text by

松原孝臣Takaomi Matsubara
photograph by
Kiichi Matsumoto
【初出:発売中のNumber1120号[挫折地点を語る]羽生結弦「恐怖と絶望に襲われても」】
努力してきたことが崩れ落ちる瞬間
例にあげたのは、17年11月、NHK杯の公式練習での負傷だ。のちに「右足関節外側靱帯損傷」と発表された。重傷だった。
「なんて言えばいいのかな、努力してきたことたちが崩れ落ちる瞬間というか......」
それも無理はない。3カ月後に平昌五輪を控えていたからだ。
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「その後は日々やることを積み重ねていくぐらいしか正直できなかったですね。氷上に立てない期間があまりに長かったので、ケアの仕方、治療の仕方、リハビリの仕方で様々な工夫をして、そこにただ集中して取り組むだけでした。どんどん氷の感覚がなくなっていくことや、筋力が落ちていく、自分の体が弱くなっていく感覚を味わいながら過ごすのはしんどいものがありました。その期間、ほかの選手たちがどんなジャン プを跳んでどんなスコアを残して、という結果を見るのも恐怖でしかなかったです」
口にしてこなかった「挫折」という言葉
氷上での練習再開は年が明けてから。ブランクは長く、大会まで実戦を経ることもできなかった。でも、絶望しきることはなかった。投げ出すこともなかった。
「オリンピックの代表に入れるか分からなくても自分ができることをやらないという選択肢はなかったです。もしかしたら東日本大震災(での被災)によって、悲しみとか苦しさというものに触れて、言ってみれ ば我慢できる閾値みたいなものが人より大きくなっていたのかもしれないし、小学校の頃の経験で、大変な状況への免疫がついていたというか、精神的なトレーニングが既になされていたのかもしれないですね」
それがソチ五輪に続く連覇に結実したが、一連の話は、ある事実を思い起こさせた。インタビュー、記者会見、試合後などの取材の場で、知りうる限り「挫折」という言葉を、今まで羽生は口にしていないことだ。
「そうですね」
迷わずうなずくと、続けた。
「挫折って、僕の中ではそこで一回停滞して終わるっていうイメージなんですよ。でも僕の場合は、何かにぶち当たったらそれを乗り越えないと生きていけない性分なので。挫折とか言っている前に乗り越える術を考えよう、というのが僕の考えです」
どん底を何度も見て、そのたびに恐怖に襲われ、叩きのめされるような感覚を覚えた。でも立ち止まることはなかった。少年時代に練習環境を失っても、何度も大怪我を負っても打ち克ってきたのは、挫折を挫折としない姿勢があればこそだ。どん底を見ることは這い上がるための、さらなる成長の機会であったとすら感じさせる強靭な精神力こそ、羽生結弦の真骨頂であった。
<前編から続く>

【番組を見る】NumberTV「#21 羽生結弦 あの光景を、脳裏に焼き付けて。」はこちらからご覧いただけます。
