Sports Graphic Number SpecialBACK NUMBER
[異端の調教師と目指す頂点]ミュージアムマイル「ほかのGIと同じ気持ちで」
posted2025/05/23 09:00
![[異端の調教師と目指す頂点]ミュージアムマイル「ほかのGIと同じ気持ちで」<Number Web> photograph by Kiichi Matsumoto](https://number.ismcdn.jp/mwimgs/d/3/1500wm/img_d31baa7c46864946fbf4a8b6bb6207d8581544.jpg)
text by

江面弘也Koya Ezura
photograph by
Kiichi Matsumoto
「別格」と思われていた本命馬を差し切って、皐月賞を制した。一躍ダービー戦線の主役に躍り出た駿馬を鍛え上げたのは、「競馬に興味がないまま、この世界に入った」という47歳。新進気鋭のトレーナーは、いかにして初の大舞台に臨むのか。
北海道門別町(現日高町)の牧場にうまれた高柳大輔調教師は、高校、大学と馬術部に所属し、ノーザンファームで競走馬の育成に携わったのち、栗東トレーニングセンターにはいった――。
こう書くと、競馬社会のエリートコースを歩んできた調教師のように思えるのだが、本人は、「競馬にまったく興味がなかった」と言う。その歩みがおもしろい。
家は牧場でも馬には関心がなかった大輔少年は、中学ではサッカー部に所属し、高校でも続けるつもりだった。ところが、おなじ高校の馬術部にいた兄(高柳瑞樹調教師)に馬術を勧められ、馬術部の顧問からも「推薦で大学に入れてやる」と言われて馬術をはじめた。大学のときには競馬場でアルバイトもしているが、「バイトはバイト」で競馬に興味は向かなかった。
「大学を卒業するときに、あらためて自分にできることを考えたら、高校、大学と馬に乗っていたので、競走馬の育成なら稼げるかなと。ぼくが一般社会に対応できるのかという心配もあったので(笑)」
当時はいわゆる就職氷河期だった。高柳は馬術の経験を生かしてノーザンファームに就職するのだが、牧場では「言われるとおりに乗っていただけ」で、競走馬にも競馬にも関心がなかった。
