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「誰も責められるべきではない」リバティアイランドの死を悼む「目をキラキラさせ、カメラにポーズを…」取材者が見た“強く、愛らしい名牝”の素顔 

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島田明宏

島田明宏Akihiro Shimada

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photograph byJIJI PRESS

posted2025/04/29 17:05

「誰も責められるべきではない」リバティアイランドの死を悼む「目をキラキラさせ、カメラにポーズを…」取材者が見た“強く、愛らしい名牝”の素顔<Number Web> photograph by JIJI PRESS

2023年、圧巻の強さで牝馬三冠を達成したリバティアイランド。全12戦で川田将雅が手綱をとった

 誰も責めることができない。責められるべきではない。誰もが起きてほしくないと思っていても、ときにこうしたアクシデントが起きてしまう。

「走りを見ることができて幸せ」と感じさせる名馬

 海外での日本馬の悲劇として思い出されるのは、1997年のドバイワールドカップで転倒し、骨折、予後不良となった砂の女王ホクトベガだ。エリザベス女王杯を勝つなど芝でも強かったが、6歳のときダート路線に転向するとさらなる強さを発揮し、破竹の7連勝を遂げた。7歳のときに出走したドバイワールドカップは、まだ第2回だった。今のようにリアルタイムで情報が流れてくることもなく、本当に遠くで、馬名のとおり星になってしまったように感じられた。

 ビッグレースの直線での出来事として、一昨年の日本ダービーでゴール後に急性心不全で死亡したスキルヴィングとも重なるところがある。あのダービーも、今年のクイーンエリザベス2世カップも、勝ったのはタスティエーラだった。

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 タスティエーラは、悲しい出来事があったなか、今回も渾身の走りを見せた。2着も日本のプログノーシスだった。日本馬が1-2フィニッシュという素晴らしい結果を出したことはもっと讃えられるべきだろう。

 ホクトベガが亡くなった翌1998年、稀代の快速馬サイレンススズカが天皇賞・秋のレース中に骨折し、世を去った。そのレースのあと、永井啓弐オーナーは、橋田満調教師(当時)ら関係者に、「またこういう馬をつくりましょう」と話したという。誰よりもつらいはずのオーナーの言葉に、そこにいた全員が大きく力づけられたのだった。

 サイレンススズカは、今もなお「こういう馬の走りを見ることができて幸せだった」と思わせてくれている。

 リバティアイランドも同じだ。あの馬の走りを見ることができて幸せだった。私を含め、多くの人がそう思っているはずだ。

度肝を抜いた牝馬三冠…世界最強馬との直接対決も

 川田は、新馬戦の1週前追い切りに騎乗した時点で、2歳女王決定戦の阪神ジュベナイルフィリーズを意識したという。

 彼の感じたとおりに阪神ジュベナイルフィリーズを完勝し、桜花賞では、とても届きそうにない後方から前をまとめて差し切り、見る者たちの度肝を抜いた。

 オークスと秋華賞も強い競馬で勝ち、史上7頭目の牝馬三冠馬となった。

 対古馬初戦となったジャパンカップでは、「レーティング世界一」のイクイノックスの2着と力を見せた。

【次ページ】 馬房で目をキラキラさせ、カメラを向けるとポーズを…

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