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「原(辰徳)さんが契約金8000万円なら…」人気絶頂“昭和の巨人”から「ドラ4指名」18歳はナゼ入団を断った?「帰宅したら黒塗りのハイヤーが…」
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田口元義Genki Taguchi
photograph byJIJI PRESS
posted2025/04/21 11:00

1980年のドラフト会議。巨人の1位指名は原辰徳だった。同じく4位で指名を受けた瀬戸山満年だが、超人気球団からのオファーをなぜ断ったのだろうか
杉浦と瀬戸山が頑なに「指名のお断り」を示したことで巨人の面目を潰された加藤は、テーブルを蹴り飛ばさんばかりの形相で母校をあとにしたのだという。
11月26日。
進路の選択が一段落したと安心しきっていた瀬戸山は、学校が終わると友人の家でくつろいでいた。時計の針はすでに夜の11時を指しており、たまたまつけていたテレビで『プロ野球ニュース』が始まっている。そこでは、キャスターの佐々木信也が、巨人の指名選手を読み上げているようだった。
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1位・東海大の原辰徳、2位・桜井商の駒田徳広、3位・臼杵商の小原正行……。
「お前、4位で名前出てるぞ!」
まさかの指名…自宅に戻ると黒塗りの車が
仲間から告げられた瀬戸山がぎょっとする。「これはマズいぞ!」とその場を飛び出して帰宅すると、自宅前にはすでに黒塗りのハイヤーが何台も停まっていた。
瀬戸山は到着するや無数のフラッシュに包まれる。高校野球を引退し、進路も決まって気が緩んでいた剃り込み入りのパンチパーマ姿の青年が、記者たちの質問攻めにあう。
「巨人に指名された心境は?」「入団の意思はありますか?」
あまりの過熱ぶりに人気球団のすごさと異常さを再確認した瀬戸山ではあったが、「行きませんよ」と気丈に振る舞う。
「プリンスホテルで決まってますんで、ジャイアンツには入りません」
公の場で明言したことにより、ようやく巨人入りを巡る騒動は収束した。
とはいえ、ひとつ疑問が残る。
いくら恩師である杉浦の勧めだったからとはいえ、瀬戸山自身に「プロ野球選手になりたい」といった願望はなかったのか。
瀬戸山は「杉浦先生の顔を立てたかったのは一番なんですけど」と前提を述べた上で、「ちょっとした理由を言えば」と、当時のプライドを覗かせるように結んだ。
「1位の原さんの契約金が、当時の最高額だったか8000万円だったんですよ。私が3000万円じゃないですか。『だったら、俺も社会人で頑張って、ドラフト1位で8000万円稼ごう』という考えも少しありました」
だが、そうして進んだ社会人野球の世界では、瀬戸山の思惑とは少しずつズレが生じていくことになる。
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