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「ヒョウ柄の水着」で話題を集めた選手の告白「恥ずかしいという気持ちは全くない」“ビーチの女豹”浦田聖子が語るビーチバレーのユニフォーム改革
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吉田亜衣Ai Yoshida
photograph byL)Shiro Miyake、R)Sankei Shimbun
posted2025/03/17 11:02

“ビーチの女豹”の愛称でも親しまれた浦田聖子さん
当時の女子ビーチバレー界は華やかだった。北京五輪に一番近いと言われていた佐伯美香/楠原千秋組、小泉栄子/田中姿子組のベテラン勢。次世代を担う浦田聖子/鈴木洋美組、大衆の視線を釘づけにしていた浅尾美和/西堀健実組らがしのぎを削っていた。
そんな中、選手たちのユニフォームである水着にコンセプトを持たせて前面に押し出していったのが、浦田/鈴木組だ。
「このシーズンからレオパレスさんがスポンサーについたので、『戦う豹』をイメージしたものにしようと話していて、ヒョウ柄の水着を作りました。単にヒョウ柄が好き、という理由ではなく、ちゃんとしたコンセプトがあったんですよ。ちょうどその頃、ヒロ(鈴木)さんとブラジル合宿から帰国したら、美和が大ブレイクしていて。ビーチバレーがメディアに露出し始めたタイミングと重なったんです」
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メディアは『ビーチの妖精』に対し、『ビーチの女豹』としてマッチアップさせた。2008年北京五輪イヤーシーズンには、『金』を意識したゴールドバージョンを身にまとい、新聞社を挨拶回り。ビルの屋上で堂々と撮影したこともあった。
「各社へ私服を着てご挨拶して、撮影のときはバッと水着になる。当時はどこでも脱げる状態でしたね(笑)。恥ずかしいという気持ちは全くないです。私たちにとってはユニフォームなので。『ビーチの女豹』という名前をつけてくださったことで印象にも残りますし、知ってもらう機会も増えました。水着で注目を集めたかったのは、ビーチバレーはオリンピックでは人気があることを含めて、ビーチバレーの魅力が早く伝わるように。ひとつの手段という意識はありました」
浦田のこだわりが、ユニフォーム改革のきっかけに
だからこそ、強くなりたかった。結果的に浦田/鈴木組は北京五輪への出場が叶わなかったが、浦田の水着へのプライドは、ビーチバレーのユニフォーム史上に改革を起こすきっかけとなった。
とくに2010年に考案されたレイヤー水着は、フィット感と肩甲骨の可動を重視。筋肉の動きをスムーズに、かつ身体に負荷をかけない機能性とファッション性を追求した斬新なものだった。
「当時、水泳界でレーザーレーサー(水泳競技用の水着)が流行っていて、私たちの水着にも応用できないかと、考えました。インナーの水着は筋肉に沿って動くようにズレない。アウターの水着は砂がはけるような素材を使って二重構造になっていました」
現在のユニフォームは両肩でトップスを支えるショルダーストラップ型が大半だが、この頃の競技ウェアは首に紐をかけたホルターネック型が主流。選手たちの首にかかる負荷は否めなかった。
「私たちの時代のウェアといえば、これが定番。首の後ろで紐を結ぶので、首が引っ張られて、疲労が溜まってくると肩が凝ったり、首を寝違えたり。首、肩への負担を軽減したくて、インナーをショルダーストラップにして肌にフィットさせ、アウターはファッション性を持たせながらも首の後ろで強めに結ばなくてよいものを着ていました」