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「トレードに出した甲斐があった」落合博満が微笑みながら握手を…野村克也と共通の教え「考える」「とにかく練習」は今も元首位打者・鉄平の心に
posted2025/02/27 06:02

野村克也と落合博満。首位打者を獲得した鉄平にとって、野球人生を変える2人の指揮官だったことは間違いない
text by

間淳Jun Aida
photograph by
Sankei Shimbun
「トレードで出した甲斐があった」
落合監督の“目利き”は正しかった。
楽天に金銭トレードで移籍した鉄平は移籍1年目の2006年シーズンから、チームに不可欠な存在となった。春季キャンプとオープン戦からアピールを続けて開幕スタメンをつかみ、主軸を任されるまでの存在となった。
移籍して約半年後に迎えた中日との交流戦では、落合監督と直接話す機会があった。鉄平が落合監督へあいさつに行くと、微笑みながら握手して「トレードで出した甲斐があった」と言葉をかけられた。
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「楽天では中日と違って、主力が年齢的に衰えていくのを待たずに自分から一軍に行けるチャンスを得ました。チャンスが到来したという気持ちと同時に、『これで一軍に定着する成績を残せなかったら、もう野球は無理なんだな』とプロにあきらめをつけられると腹をくくれました」
楽天でレギュラーをつかめなかったら、ユニホームを脱ぐ。覚悟が固まり、目指す方向性も明確だった。打力に加えて、若さも鉄平のアドバンテージとなった。
「創設したばかりの楽天には、将来的にチームを引っ張る選手を育てないといけない空気が漂っていました。その時の実力以上に、チームで断トツだった若さが有利に働いたと思っています」
追い風も受けて出場機会を得た鉄平はバットでチームをけん引した。103試合に出場して規定打席に到達。リーグ9位となる打率.303をマークし、「この年の打率3割は中日時代の貯金だと思っています。夢の中にも打撃練習が出てきたくらいですから」と振り返った。
じつは「野村監督の好きではない打ち方」だった
中日時代の落合監督ほどではなかったが、楽天でも野村克也監督と直接話す機会は多くなかった。ただ、メディアを通じて、野村監督の言葉は耳に入ってきた。
指揮官の“許容範囲”を超えると、ぼやきが直接聞こえてきたり、コーチを通じて考え方や意見を伝えられたりするケースもあった。