プロレス写真記者の眼BACK NUMBER

後藤洋央紀45歳「オレはバカです。家業を継がず…」亡き父に捧げるIWGP戴冠…“9度目の正直”がファンの胸を打った理由「ベテランの挑戦、何が悪い」

posted2025/02/14 17:05

 
後藤洋央紀45歳「オレはバカです。家業を継がず…」亡き父に捧げるIWGP戴冠…“9度目の正直”がファンの胸を打った理由「ベテランの挑戦、何が悪い」<Number Web> photograph by Essei Hara

悲願のIWGP世界ヘビー級王座を手にした後藤洋央紀(45歳)。2月11日、大阪府立体育会館

text by

原悦生

原悦生Essei Hara

PROFILE

photograph by

Essei Hara

 誰がこの日、後藤洋央紀のIWGP世界ヘビー級王座の戴冠をはっきりと頭に描いただろうか。「もしかしたら、後藤が」という思いが浮かんでも、打ち消してしまうことが繰り返された。

 2月11日、エディオンアリーナ大阪(大阪府立体育会館)には後藤への大声援が響いていたが、後藤が好調なザック・セイバーJr.を倒してIWGPベルトを掲げるとは思わなかった。

後藤洋央紀のIWGP挑戦「敗北の歴史」

「後藤に勝ってほしいよね」という声を多く耳にした。だが、その後に多くの「でも」が続いたのも事実だった。後藤がIWGP戦線に名前を連ねていたのは2007年から2016年で、もうそれから9年が経過している。後藤には「シングル戦線に戻りたい」という願いがあった。「叶うことならIWGPを巻きたい」というストレートな気持ちもあった。

ADVERTISEMENT

 後藤は前日の公開調印式で、戴冠後の防衛プランで対戦したい相手の名を3人挙げていた。

「棚橋弘至、オカダ・カズチカ、柴田勝頼。この3人はオレの中で外せません」

 後藤がIWGPに初挑戦した時の王者が棚橋だった。オカダ・カズチカには一番いけると思ったときに、全身ペイントで挑んで完膚なきまでに打ちのめされた。

 柴田とは同郷で、後藤は2002年に新日本プロレスに入門したが、練習中のケガでデビューを果たせずに退団してしまう。同郷の柴田勝頼の所に身を寄せてリハビリし、再入門した後藤は2003年7月にデビューした。これは特別な関係だ。日本のリングでは実現は難しいかもしれないが、AEWのリングでなら願いはかなうだろう。

 2007年11月、後藤のIWGP王座への挑戦が始まった。後藤はIWGP王者に近い存在だった。棚橋への初挑戦を皮切りに、全日本プロレスの武藤敬司、中邑真輔、オカダ・カズチカらに8度も挑戦したが、すべてに敗れた。

 2008年8月、初出場した『G1 CLIMAX』で真壁刀義を倒して優勝した後藤は「G1のGはGOTOのG」と宣言したが、それが「IWGPのGはGOTOのG」に変わる日はなかなか訪れなかった。

【次ページ】 「これが最後になるかもしれない」後藤洋央紀の覚悟

1 2 3 4 NEXT
#後藤洋央紀
#ザック・セイバーJr.
#棚橋弘至
#永田裕志
#オカダ・カズチカ
#柴田勝頼
#武藤敬司
#中邑真輔
#辻陽太
#プロレス大賞

プロレスの前後の記事

ページトップ