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米航空機事故で犠牲になったフィギュア世界王者夫婦が一人息子に遺した“最後のメッセージ”…シシコワ&ナウモフの功績を振り返る
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田村明子Akiko Tamura
photograph byAFLO
posted2025/02/04 11:04

1月30日、航空機事故によって亡くなった元ペア世界チャンピオンのエフゲニア・シシコワさんとヴァジム・ナウモフさん
リレハンメル五輪は4位と活躍
この1993年・1994年シーズン、それまでプロとアマチュアの区分を厳しく設定していたISU(国際スケート連盟)が、リレハンメルオリンピックに向けてプロスケーターにも復帰を許可するという初の試みを行った。
1988年カルガリーオリンピックチャンピオンのゴルディワ&グリンコフ、1992年アルベールビルオリンピックチャンピオンのミシュクテノク&ドミトリエフの2組が復帰してきた。そのため前年のロシアチャンピオンだったシシコワ&ナウモフは、リレハンメルにはロシアの3番手として出場。総合4位と惜しいところで表彰台を逃した。
プロたちが復帰してきた時、「なぜ若手たちのチャンスを奪うのか」という批判もあった中で、シシコワ&ナウモフは一言も不満をもらさず、淡々とやるべきことをやった。
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その1カ月後の幕張世界選手権にはロシアのトップ2組は出場せず、リレハンメルで3位だったカナダのブラスール&アイスラーとの一騎打ちの末に手にした、初の世界タイトルだった。
2001年に生まれた一人息子もスケーターに
2人は1995年の夏に結婚し、以来仲の良いおしどり夫婦として知られていた。1996年、初回GPファイナル(当時の大会名はチャンピオンシリーズファイナル)で優勝。だが1998年の長野オリンピック代表を逃し、アマチュア競技から引退した。
1998年に二人は米国に移住し、プロ活動をした後コーチとして活動を始めた。
2001年に二人の間に一人息子、マキシム・ナウモフが誕生。アメリカ生まれのマキシムは、全米選手権ジュべナイル、ノービスで優勝し、米国代表として国際大会で活躍している。