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ヤクザから転身した“元祖・入れ墨ボクサー”は今…「引退後は俳優、24歳下の女優と結婚」大嶋宏成(50歳)が弟と振り返る激動の人生
text by
栗田シメイShimei Kurita
photograph byShiro Miyake
posted2025/01/27 11:04
ともに極道の世界に足を踏み入れた過去をもつ大嶋宏成(右)と弟・記胤。ボクシングとの出会いが運命を変えた
茨城県の結城市で生まれ育った宏成と記胤。兄が3歳の時に両親は離婚し、父親が2人を引き取った。
毎日飲み歩き、ほとんど家に帰らない父を見かねた祖父母が兄弟を育てることになる。愛情や人との繋がりに飢えた子どもだった。寂しさを紛らわすかのように鋭利な性格は形成されていき、中学校にあがる頃には地元でも一番のワルと目されるようになっていく。宏成の回想。
「ただただバカをやれる仲間がほしかった。寂しかったんですよ。小学校5年生の時に興味本位でタバコを吸い、それくらいから悪さするやつが集まるようになって。中学時代は仲間と喧嘩ばかりで、何度も警察沙汰になった。先輩から組事務所に誘われるまま、顔を出すようになったんです」
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15歳で地元の組事務所に通うようになり、金魚の入れ墨を両胸に刻んだ。そして、度重なる喧嘩や暴力行為もあり、1年2カ月の少年院生活を過ごすことになる。
面会に来た祖父母は大粒の涙を流し、更生を訴えた。このままではいけない――塀の中の狭い相部屋で過ごしながら、出所後の世界に思いを馳せるようになる。
「大嶋の弟」と呼ばれる葛藤
少年時代の記胤にとって、兄は憧れであり、越えるべき存在でもあった。どこにいっても「大嶋の弟」が枕詞だった。そんな現実をどうしても受け入れられない。兄より有名な不良になること。中学時代の記胤にとっては、ほとんど全ての価値観がその言葉に凝縮されていた。
中学1年生でスカイラインを乗り回し、教員用の駐車場に停めて登校した。髪をピンクに染め、風紀を乱すという理由で学校に入れてもらうことすら出来なかった。中学の登校回数は6度のみ。暴走族の総長になり、喧嘩に明け暮れた。
気がつくと不良としての評価は、兄を越えていた。
それでも満足できない記胤は兄の背中を追い、同じヤクザ事務所にも寝泊まりするようになる。そして、全身に入れ墨を刻んだ。15歳になっていた。