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地震で生き埋め…亡き父に送り続けたLINE「春高バレー出場、決まったよ」16歳女子バレー部員の“1年後”…創部わずか2年、石川の高校で起きた奇跡ウラ側
posted2025/01/05 11:01
text by
柳川悠二Yuji Yanagawa
photograph by
Yuji Yanagawa
2024年の1月、山梨県甲斐市で16歳の少女と出会った。石川県輪島市に生まれ育った日吉彩さんは、日本航空石川高校の1年生で、前年春に創部された同校女子バレーボール部の1期生だった。
その3週間前の元日、実家に帰省中だった彩さんは最大震度7という未曾有の能登半島地震に遭遇する。友達と買い物に出かけていて彼女自身にケガはなかったものの、母に連絡を入れると混乱して叫ぶ声しか聞こえてこない。避難警報が鳴り響くなか、避難場所に急ぐ人々の流れに逆行するように沿岸部に位置する自宅に戻ると、両の目を覆いたくなる光景が広がっていた。3階建ての実家が真っ二つに崩壊し、2階部分が完全に押しつぶされていたのだ。
生き埋めになった父「助けに来るからね…」
彩さんが呼びかけると、瓦礫の中から弟の声が聞こえてくる。
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「助けて!」
さらにフィリピン出身の母・ウィルマさんと父の浩幸さん、祖父の栄松さんが生き埋めとなっていた。近隣の人々の手も借りてウィルマさんこそ救い出すことはできたものの、取り残された父たちを助け出すには人手も重機も足りない。
「あとは警察や消防に任せて、避難所に急いだ方がいいとアドバイスされました。パパたちを残して家を離れることはとてもつらいことでした。でも、パパを呼ぶと『おるぞー』という声が聞こえてきた。だから『ごめんね』と謝って……」
避難所に行くからね。ちゃんと助けに来るからね——。
彩さんとウィルマさんは父を安心させる言葉を残して家を後にする。ところが、彩さんが幾度も110番通報するも、なかなか電話がつながらず、ようやく救出作業が始まったのは2日未明だった。
2日の朝を迎え、憔悴していた彩さんは避難していた輪島中学校で救出された弟と再会を果たす。そして、病院に行く。祖父は意識がはっきりしていて安心した。しかし、父は毛布にくるまれていた。倒壊してきた天井の瓦礫から身を挺して息子を守った浩幸さんは、地震から3時間ほどは意識があったというが、救出されるまで命をつなぐことはできなかった。