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ハマ街ダイアリーBACK NUMBER
「笑顔で終われたと思います。本当に」さらば大田泰示…巨人→日ハム→DeNA、永遠の野球小僧は大舞台に無縁でも「日々を一生懸命やり切った」
text by
石塚隆Takashi Ishizuka
photograph byMiki Fukano
posted2024/12/26 17:03
16年のプロ生活の末にバットを置いた「野球が天職の男」大田。ジャイアンツのアカデミーコーチとして第二の人生のスタートを切る(撮影/読売新聞ビルにて)
その証拠に、大田は自由契約を伝えられたあとでもファーム日本選手権にも出場し、4打数2安打を放ち日本一に貢献している。
胴上げされるのは固辞した
優勝が決まった際、若手選手を中心に大田を胴上げしようと声があがったが、これを丁重に断っている。
「思い出深い試合になりましたね。青山(道雄)監督の最後の試合だったから、試合前に『優勝して終わろうぜ!』って盛り上がったんですよ。僕からすれば、ジャイアンツ出身の入来(祐作)さんや東野(峻)さん、中井(大介)さんもいたし、西浦(直亨)や楠本(泰史)、村川(凪)といった戦力外通告された選手と一緒に参加して戦うのは特別なものがありました。えっ、胴上げですか? すごく気持ちはうれしかったし、ありがたかったけど、あのときはまだ現役をつづけたい気持ちだったので、なんかこれ(胴上げ)やっちゃうとねえ」
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そう言うと、大田は苦笑した。
NPB球団に絞って連絡を待ったが…
この試合が終わると、あとは声が掛かるのを待つ身だ。いくら野球選手をつづけたくてもオファーがなければ、そうはいかないのが、この世界の常である。
「プロ野球選手というのは自分の意志だけで通用する世界じゃないのはわかっていたし、その中で取ってもらえるのであれば、ありがたいなって。でも取ってもらえなかった場合は引退だなって覚悟もしていました」
当初は、野球がプレーできればいいと独立リーグや海外でのプレーも視野に入れていたが、自分のこれまでのキャリアや今後を鑑み、選択肢をNPBだけに絞った。だが、待てど暮らせどNPBの球団からオファーは届かない。焦燥感は募ったが、そんなとき大田の心を救ったのは、やはり家族の存在だった。
妻子からの言葉
「自分一人の頭の中でずっと考えるのではなくて、妻や子どもたちに、今後野球をやれなくなることについて尋ねたんですよ。子どもたちは『野球やるチームないの?』なんて無邪気なもんだったんですけど、妻の言葉は大きかったですね。僕はプロ6年目が終わった2014年のオフに結婚したんですけど、妻はジャイアンツで苦しんでいる時期や、ファイターズでは規定打席を達成して毎日テレビで見られるような存在になった時期も、そばで僕のことを見てくれていました。もちろん、そのファイターズをクビになって、またベイスターズで楽しそうに野球をやっている姿も」
一見華やかだが、苦しいことの方が多いプロ野球の世界。家庭では良き父親であっても、苦労が多いことは伴侶であれば容易に察することはできる。