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「毎日のように怒られていた」ヤクルト青木宣親(42歳)じつは早稲田大で“怒られ役”だった! 引退後に恩師が語った「彼は指導者の資質がある」

posted2024/11/07 11:06

 
「毎日のように怒られていた」ヤクルト青木宣親(42歳)じつは早稲田大で“怒られ役”だった! 引退後に恩師が語った「彼は指導者の資質がある」<Number Web> photograph by Kiichi Matsumoto

今シーズン限りで現役を引退したヤクルト青木宣親(42歳)が「NumberTV」で自らの原点を明かした

text by

佐藤春佳

佐藤春佳Haruka Sato

PROFILE

photograph by

Kiichi Matsumoto

 今シーズンをもってバットを置いた青木宣親(42歳)の原点には、 大学時代に味わった葛藤と恩師との出会いがあった。「Sports Graphic Number×Lemino」制作のドキュメンタリー番組NumberTVから特別記事を掲載する。<全2回の後編/前編も公開中>
【初出:11月8日発売のNumber1108号[挫折地点を語る]青木宣親「褒められたことは一度もなかった」より】

大学時代はチーム内の“怒られ役”

 名将が青木に教えたのは、その俊足を生かす打撃術だ。とにかく徹底して三遊間にゴロを打たせた。バッティング練習中は真正面にネットを縦に置き、その左側にしか打つことを許されなかったほどだ。もし右側に打球が飛ぼうものなら「レギュラーみんな、グラウンド1周!」と厳しい言葉が飛んだ。そんな制約がつけられていたのは、チームの中で青木ただひとりだった。

 野村元監督が、当時を振り返る。

「将来野球を続けていくうえで青木が売りにするとしたら、つないでいける、対応力があるバッターとしてじゃないだろうか、と思っていました。ポジションとしては1、2番。そのためには逆方向に打てる対応力が必要になってくる。三遊間にゴロを打てれば内野安打も増えて、打率がどんどん上がりだした。そういう数字を見て彼も自分の良さというものに気づいたんじゃないでしょうかね」

 とはいえ、青木とて当時は大志を抱く青年だ。フルスイングでホームランだって打ちたい。長打を磨いてプロにアピールしたい、という思いも抱いていた。

「黒子に徹しろと言われて、最初は本当に葛藤しました。でも腹をくくって取り組みだして4年生の頃にはいつでも逆方向に打てるような“当て感”が身についていた。細かいことが出来た状態でプロに入れたので、その後は自分が思った通りに野球に取り組むことが出来ました。野村監督が自分の長所を見つけてくれて、ベクトルを向けてくれた。あの4年間で野球の基礎を教わったからこそ結果的に、21年も野球を続けてこられたのだと思います」

 青木はチーム内の“怒られ役”でもあった。技術面だけではない。練習に取り組む姿勢や心の持ち方......。 3年生夏の練習試合では、走塁でボーンヘッドを犯し「もう野球を辞めろ 」と監督から“グラウンド出入禁止”を言い渡されたこともあった。

「本当に毎日のように怒られていましたね(笑)。でも今となっては大学の4年間で心の部分を鍛えてもらったことが凄く良かった。何をするにも結局は取り組み方や考え方が大事で、その基礎にあるのは心の部分、 メンタル。今、後輩たちにもそんなことを伝えているんです」

「あの頃の怒られていた青木じゃない」

 2018年シーズンにヤクルトに復帰した青木は、衰え知らずのバットマンとしてだけでなく、リーダーとしても先頭に立ち 続けた。若い選手に寄り添い、アドバイスを送り、時に鼓舞する。その存在は'21年の日本一、'22年のリーグ連覇に導いただけでなく、選手に大きな影響を与えチームに財産を残した。教え子のそんな姿に、野村元監督は胸が熱くなったという。

「あの頃のよく怒られていた青木じゃない。人間的に一回りも二回りも成長したその姿にびっくりしました。彼は指導者としての資質がありますよ。これからの活躍をずっと見ていたい。でも僕には、そういう時間はないんですけど......。彼が立派な指導者になることを心から祈っています」

 その言葉を聞いた青木が涙をこらえる。 あの頃のように、背筋は伸びたままだ。

<前編から続く>

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