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小椋藍、家族の献身に支えられ15年ぶりのMoto2日本人王者に! 残り2戦で披露される全開の走りに注目せよ
posted2024/10/31 11:02
text by
遠藤智Satoshi Endo
photograph by
Satoshi Endo
10月27日、チャーン・インターナショナル・サーキットで開催された第18戦タイGPのMoto2クラス決勝で、タイトル王手で迎えた小椋藍が2位でフィニッシュし、念願の世界チャンピオンに輝いた。
日本人の世界王者は2009年の250ccクラス(現Moto2クラス)の青山博一以来、15年ぶり7人目。小椋は00年にはMoto3クラス、22年にはMoto2クラスでタイトル獲得のチャンスがあったが、いずれも最終戦決着でタイトルを逃してきただけに、まさに3度目の正直で手にした世界タイトルだった。
やっと手に入れた世界チャンピオンの称号。レースを始めてから一度も泣いたことがないという小椋は、赤旗中断でチャンピオンが決まったとき、ヘルメットの中で目に涙を浮かべた。そして表彰式が終わった後の表彰台で、父・正治さんからスマートフォンを受け取ると、小椋は人目をはばからず涙を流すことになった。
その電話は日本でテレビ観戦していた母・香織さんからの祝福で、画面には涙にくれ言葉がでない母の姿。小椋は「なんでかわからないけど涙がでちゃって……。母親ってそういう存在なんですね」と涙を振り返る。
香織さんは「藍のチャンピオンが決まるかどうかなんてレースは、(あまりにもドキドキして)サーキットで見られない」と日本に残り、サーキットには正治さんと姉でオートレーサーの華恋さんが駆けつけていた。
家族の支えあってのレース活動
小椋が最後に泣いたのは2014年、中学1年生のときだった。その年の暮れに小椋はマレーシアで行われるアジアタレントカップのオーディションを受ける予定になっていた。アジアタレントカップとは「アジアのライダーをグランプリへ」を目標にホンダとドルナが14年にスタートさせた育成シリーズで、その年は現在Moto2クラスに参戦する佐々木歩夢などが出場していた。
当時、国内のミニバイクレースで敵なしの速さで世界チャンピオンを目指していた小椋にとって、「アジアタレントカップにいけるかどうかが全て」だった。だがそんな折、タイ選手権に参戦していた華恋さんが転倒して大けがをする。その治療費が高額だったこともあり、両親からは、マレーシアのセパンで行われていた「タレントカップのオーディションには行けないかも知れない」と言われ、悲しくて泣いた。人生で初めての涙でもあった。
その後、両親は華恋さんの治療費を工面しながらも、なんとか小椋をタレントカップのオーディションに送り出す。そして見事、合格。そんなこともあり、当時から小椋は「僕には勉強のシーズンなんてないです。一戦一戦が勝負」と口癖のように語っていた。そして育成シリーズからホンダチームアジアのMoto3、Moto2クラスへとステップアップ。両クラスでチャンピオン争いに加わり、今年は初めてプロライダーとしてスペインのMSIに移籍した末のタイトル獲得だった。