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「もうちょっとバキバキの身体でいたいから…」パリ五輪女子バレー主将・古賀紗理那がいま明かす“現役引退後の日々”「やらない自分が嫌い」

posted2024/10/24 17:00

 
「もうちょっとバキバキの身体でいたいから…」パリ五輪女子バレー主将・古賀紗理那がいま明かす“現役引退後の日々”「やらない自分が嫌い」<Number Web> photograph by Koichiro Matsui

パリ五輪を最後に現役を退いた古賀紗理那

text by

田中夕子

田中夕子Yuko Tanaka

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Koichiro Matsui

 もし来年続けたとしても絶対に成長できる――。そう語る古賀紗理那だが、引退の決意は揺らがなかった。日本代表の元キャプテンが「やりきった」というこれまでのバレー人生のすべてを今、振り返る。
 発売中のNumber1106号に掲載の[引退記念インタビュー]古賀紗理那「孤独な時ほど強くなれた」より、内容を一部抜粋してお届けします。

「あー、引退したんだ」と思う時

 引退からひと月が過ぎた9月中旬、まだ暑さが残る中、古賀紗理那は爽やかな白いシャツと黒のパンツ姿で現れた。

「全然トレーニングしていないから、筋肉が落ちちゃったんです。もうちょっとバキバキの身体でいたいから、頑張らないと」

 現役最後と決めて臨んだパリ五輪を終えるまで、トレーニングはもちろん、規則正しい生活を続けてきた。特にこの1年は睡眠時間の確保と食事に気を配り、試合時間が夜の場合や、移動で帰宅が遅くなる時以外は21時に寝て、朝5時に起きる。食事の量とバランスにも配慮してきた。

“選手”を離れた今も早寝早起きは変わらずだが、食生活は変わった。

「もともとは、いっぱい食べなくてもいいタイプ。でも今までは次の日の練習、試合のためにちゃんと食べないとパフォーマンスが出せないと思っていたので、規則正しい食事は基本。お米をいっぱい食べる、たんぱく質を多めに摂る、ビタミンが足りない分はサプリメントで補う。とにかく徹底してきました。でも今は動かないので、そんなにお腹もすかないし、朝も『フルーツだけでいいか』と済ませちゃう。そういう時に『あー、引退したんだ』と思いますね」

 ストイックな生活をしろと強要されたわけではない。むしろ「苦じゃなかったし、好きでやっていた」。やると決めたらやり抜く。古賀の性には合っていた。

「何事にも徹底して取り組んできたけど、そもそも私、ちゃんとやっている自分が好きで、やらない自分が嫌い。ちゃんとやってきた、と言い切れるから選手生活も自信を持ってやり抜くことができました」

 1996年生まれ、28歳の古賀が初めてバレーボール女子日本代表に選出されたのは熊本信愛女学院高在学中の2013年のこと。2歳上の姉を追って進んだ同校で春高ベスト4、自身も優秀選手賞を獲得。高さを活かした攻撃と、サーブレシーブも器用にこなす180cmの1年生エースは、全国にその名を轟かせた。

 引退会見でも当時のことを問われ「昔のことは覚えていない」とはぐらかしていたが、初めての春高も日本代表入りも「全部、しっかり覚えてます」とニヤリと笑う。

「高校生にとっては春高が一番。『春高で勝ちたい』と思っていて、日本代表に選ばれてもそこでどうしたいかを考えたり、意識することは全くなかったです。学校の授業やテストもあるので、日本代表に選ばれても合宿には行けないし、学校が休みの時にタイミングが合えば参加させてもらうくらい。でも、それだけで日本代表ってこういう雰囲気なんだ、と味わわせてもらったし、すごくいい経験になりました」

何もわからないまま参加し、落選したリオ五輪

 日本代表の古賀紗理那としての日々が本格化したのは、高校卒業後にNECに入社した'15年から。シーズン当初からほぼすべての合宿に参加し、国際大会に出場した。当時の日本代表は木村沙織が主将を務め、リオデジャネイロ五輪を1年後に控えた時期。ポジション争いの真っ只中ではあったが、19歳の古賀はその状況を全くといっていいほど理解していなかった。

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