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「僕、ビックリして、この人すごいなと…」20歳のイチローを救った仰木彬監督の言葉「あの強烈な一言には本当に救われました」
posted2024/10/02 17:00
text by
石田雄太Yuta Ishida
photograph by
KYODO
発売中のNumber1104号に掲載の[レジェンドと師の肖像]「イチローが語ってきた仰木彬」より内容を一部抜粋してお届けします。
この世にいない恩師の携帯電話の呼び出し音
イチローのシアトルの自宅には写真立てが飾られている。そのフレームの中で穏やかな笑みを浮かべているのは仰木彬だ。
「(仰木)監督のすっとぼけている感じはすごく怖かったし、試されてるなと感じさせられました。そういうところは監督から学びましたね。僕はすっとぼけるのは得意ではありませんが、こうすれば人は勝手に考えるんだと捉えるようになったのは、監督のセンスに触れたからです」
イチローが「監督」と呼べば、それは仰木のことを指す。他の監督のことはたとえば「王監督」「原監督」と、苗字がつく。
仰木がこの世を去ったのは2005年12月15日だ。イチローはその1カ月前、仰木を見舞うために福岡へ出向いている。仰木はイチローの顔を見て涙を流した。そのとき、2人はうどんすきを食べに行く約束をしていたのだという。予定していたのは12月20日……その前日、イチローは仰木の携帯に電話を入れた。もちろん、すでにこの世にいないことは承知の上で、それを実感できなかったイチローは恩師の電話番号に発信してみたのである。
すると、電話の呼び出し音が鳴った。
イチローは驚いた。もちろん運命を変えられるはずもない。電話がつながったのは故人の携帯がそのままになっていたからだろう。しかし、イチローはどこかで仰木が生きているのではないかという錯覚に陥った。その翌年、'06年3月に行われた第1回のWBCで世界一となった直後、イチローはこんな話をしている。
「監督がいなければ、今の僕はありませんから……WBCでキューバに勝って世界一になったあの日は、ずっと自分の感情に任せていたんです。王監督の胴上げが終わったら、監督の顔が自然と浮かんできました」
「思い出すと今でも救われる言葉がある」
1992年、愛工大名電高からドラフト4位でオリックスに入団したイチロー――彼の運命を大きく変えたのはプロ3年目、'94年にオリックスの監督に就任した仰木だった。