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「本当にピュアで可愛い人でした」夫人が明かす横綱・曙太郎の素顔「娘の裸を見ちゃって…大変だ!」ボブ・サップ戦は「やめてとは言えなかった」
text by
佐藤祥子Shoko Sato
photograph byGetty Images/Christine Reiko Akebono
posted2024/07/11 17:02
今年4月に逝去した元横綱・曙太郎との思い出を語ったクリスティーン麗子夫人
私がアメリカの大学に留学し、帰国してからいい友達のような関係になりました。毎日のように電話が掛かってきて3時間も4時間もたわいない話をする。「普段は日本語ばかりだから、英語の勉強になるよ」なんてね。私の家に遊びに来ると「アメリカのシリアルがある!」「ホットドッグがアメリカの味がする!」って小さなことで喜ぶ。本当にピュアで可愛い人でした。
甘い結婚生活ではなかった
'98年10月に結婚したときは横綱になって6年目、力士としては晩年に差しかかっていました。「相撲界の面倒なところは僕に任せて。クリスは後ろで家を守ってくれているだけでいい」と言われたのですが、甘い新婚生活ではありませんでした。
結婚式直後の場所から腰のヘルニアで3場所連続休場。取り巻いていた人たちは潮が引くようにいなくなり、彼自身も体が思うように動かず大きなフラストレーションがたまっていたんでしょうね。私が必死に寄り添おうとしても無視されたり怒鳴られたりで、ひとり台所で泣いたこともありました。休場が続いて引退報道が過熱していき、実は一度、引退届を出しに行ったんです。ところが、当時の時津風理事長(元大関・豊山)に「結婚してから一度も優勝してないね。家族のために頑張りなさい」と引き留めていただいた。「理事長がチャンスをくれた!」と本当に喜んでいました。
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長男が生まれたばかりの'00年7月の名古屋場所では3年2カ月ぶりに優勝。「賜杯を抱いて家族で写真を撮る」という彼の夢が叶いました。これは大将が一番大事にしていた相撲時代の想い出だと思います。
子どもがいるから地方場所や巡業で家を離れるのは辛かったようです。帰ってくるたびに長女が大きくなっていて、「僕は大事なところを見ていない」と。抱っこしても泣かれてばかり。娘にとっては、テレビの中にいるのがパパ。この男の人は誰? という思いだったのでしょう。それが休場中にはずっと一緒にいられたので、すっかり仲のいい友達になっていましたよ(笑)。
娘の裸をみちゃって…大将の叫び声
中学生になった娘とはこんなこともありました。ある日、彼が間違えてお風呂場に入ってしまい、裸を見ちゃったらしいんです。「ママ! ママ!」という大将の叫び声に慌てて走っていったら、「大変だ! ケイちゃん(長女の名前)が成長しちゃってた!」ってお化けでも見たかのような顔で壁に張りついている。娘とはその後、「私の裸、見ないで!」「そんなの見せるな! 見たくないよ!」と言い合ってました。
子どものことは一人の人間として尊重していたと思います。息子の名前を考えるときにチャドJr.にしようかと提案したら、きっぱりNOと言う。「責任が重すぎる」と。息子たちが自分と比較されるのは避けたいという思いですね。相撲をやってもらいたいという考えもなく、自分の人生を歩き、道を切り拓いていってほしいというのが彼の願いでした。