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強豪校中退→クラブチーム&通信制高校から大学へ…仙台発MAX152キロ “ナゾのプロ注左腕”渡邉一生(20歳)の波乱万丈「150キロの変化球投手に」
text by
高木遊Yu Takagi
photograph byHideki Sugiyama
posted2024/07/10 17:02
侍ジャパン大学代表にも選ばれた仙台大のサウスポー・渡邉一生。MAX152キロの剛腕だが、その経歴は波乱万丈だ
「自信があったのでショックでした」と当時を振り返るが、今となっては納得している。
「やっぱりマウンド上での態度など、一喜一憂して球審の判定に不満を露わにするなど至らないところがありました。それに、野球部という組織に3年いられなかった影響はあったと思います」
渡邉を変えた「師匠」との出会い
今こうして思えるのも師匠・川和田のおかげだと渡邉は振り返る。仙台大には親交のあった佐野怜弥(仙台大3年)に紹介されて練習を見学。チームの温かさや森本吉謙監督ら指導陣と選手の距離感の近さやコミュニケーションの深さを感じて進学した。そこで出会ったのが川和田だ。
「入学してからもいろいろあったのですが、川和田さんとの時間があったから今があると思います。自分の結果ばかりを追い求めていた僕に“チームのために”ということや“周りを気にする”こと、“仲間を大切にする”ということを学ばせてもらいました」
川和田がまず取り組んだのは、野球の交換ノートを始めることだった。
「僕自身も勉強がしたかったですし、一生の意見も聞きたかった。僕自身の振り返りもできたし、貴重な時間でした」(川和田)
「最初は怖い先輩だと思っていたのですが、野球ノートでやり取りをしていくうちに“この人には勝てないな”“こんな先輩になりたいな”と、その背中に憧れました」(渡邉)
こうして周囲に恵まれ(渡邉に当時の話を聞くと“恩人”として、仙台大で出会ったたくさんの人物の名前を挙げる)、精神面も成長していく。
また、川和田からは技術面でも学ぶことが多かった。例えば打撃投手を務めるときだ。打者の反応を見ながら投球することを覚え、自分にばかり向いていたベクトルが相手や仲間にまで広がった。投球の幅が生まれていき、力感なく強い球を投じられるようになっていった。