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「ピンポン球みたいに飛んでいくなあ」中日・今中慎二が語るバリー・ボンズの衝撃…星野仙一監督の“不可解な激怒”に「ヤバい…戻りたくない」

posted2024/07/09 17:00

 
「ピンポン球みたいに飛んでいくなあ」中日・今中慎二が語るバリー・ボンズの衝撃…星野仙一監督の“不可解な激怒”に「ヤバい…戻りたくない」<Number Web> photograph by Bungeishunju

2001年にシーズン73本塁打という記録を打ち立てたバリー・ボンズ。初対戦の衝撃を中日・今中慎二が語った

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酒井俊作

酒井俊作Shunsaku Sakai

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Bungeishunju

 MLB史上最多762本塁打の、誰もが認める最強打者バリー・ボンズ。4度の日米野球で架けた11本のアーチは日本球界に驚きをもたらし、新しい景色を見せてくれた。打たれて野球人生が変わった、エースたちの物語。
【初出:発売中のNumber1099号[日米野球回想録]バリー・ボンズ「ビッグアーチの衝撃」より一部を抜粋してお届けします】

 昭和が終わり、平成の世が始まった頃、テレビゲームのファミコンが大流行していた。中日の合宿所「昇竜館」で暮らしていた今中慎二も、夜は仲間たちとブラウン管の前に座り、プロ野球ゲームの「ファミスタ」に熱中した。まだメジャーリーグのテレビ中継はほとんどない。ゲームのなかでスター選手の名前を覚えていったという。

「メジャーは別世界でした。錚々たる顔ぶれでケン・グリフィーJr.、バリー・ボンズとか、名前は知っていましたが、まさか対戦することなんてないだろうと思っていました。日米野球に選ばれた時も『なんで俺なんだろう』と思っていたくらいでした」

2回を8安打8失点。何を投げても打たれた

 19歳の時、「まさか」が現実になった。

 '90年11月7日、甲子園。

 今中の出番は3点リードの8回に訪れた。まだエンジンがかからない間に、いきなり出鼻をくじかれた。1死一塁で灰色のパイレーツのユニフォームを着たスリムな左打者に、あっけなくセンター前に運ばれた。初対戦のボンズである。想像以上に速いスイングに面食らった。

「これは打たれるぞ……」

 その直後、セシル・フィルダーに左翼へ同点3ランを浴びて、歯車が狂った。

「試合前から緊張していた上に、フィルダーに打たれてパニックになって、あとはもう、何を投げてもダメでした」

 ジェシー・バーフィールドにも左翼に被弾し、瞬く間に5点を失った。歯止めは利かない。9回。今度はグリフィーJr.に右翼ラッキーゾーンに放り込まれ、再びボンズの打席が巡ってきた。

 覇気を失った高めの速球は完璧に打たれ、西日に照らされながら右翼席の中段に達した。のちにMLB歴代最多の762本塁打を記録することになる26歳の、日米野球初アーチである。

 今中は茫然と立ち尽くすしかなかった。

「打った瞬間、ピンポン球みたいに飛んでいくなあと。僕は緩急で揺さぶるタイプでしたが通用しない。球をずっと待っていて、体を泳がそうとしても泳ぎませんでした」

 この日、速球もカーブも打たれてホームランになった。リードする西武・伊東勤に覚えたてのフォークを要求する余裕などなかった。2回を8安打8失点。高卒2年目で10勝を達成した余韻は吹き飛んでいった。

「星野さんに真っすぐしか投げさすな、って言われてるんや」

 痛打されながら、ベンチが目に入る。

 眉間にしわを寄せる星野仙一監督(全日本コーチ)の顔を見てしまった。

「ヤバイ……。戻りたくない……」

【次ページ】 めったに話すことがない星野に怒鳴られた

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