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「ピンポン球みたいに飛んでいくなあ」中日・今中慎二が語るバリー・ボンズの衝撃…星野仙一監督の“不可解な激怒”に「ヤバい…戻りたくない」
posted2024/07/09 17:00
text by
酒井俊作Shunsaku Sakai
photograph by
Bungeishunju
【初出:発売中のNumber1099号[日米野球回想録]バリー・ボンズ「ビッグアーチの衝撃」より一部を抜粋してお届けします】
昭和が終わり、平成の世が始まった頃、テレビゲームのファミコンが大流行していた。中日の合宿所「昇竜館」で暮らしていた今中慎二も、夜は仲間たちとブラウン管の前に座り、プロ野球ゲームの「ファミスタ」に熱中した。まだメジャーリーグのテレビ中継はほとんどない。ゲームのなかでスター選手の名前を覚えていったという。
「メジャーは別世界でした。錚々たる顔ぶれでケン・グリフィーJr.、バリー・ボンズとか、名前は知っていましたが、まさか対戦することなんてないだろうと思っていました。日米野球に選ばれた時も『なんで俺なんだろう』と思っていたくらいでした」
2回を8安打8失点。何を投げても打たれた
19歳の時、「まさか」が現実になった。
'90年11月7日、甲子園。
今中の出番は3点リードの8回に訪れた。まだエンジンがかからない間に、いきなり出鼻をくじかれた。1死一塁で灰色のパイレーツのユニフォームを着たスリムな左打者に、あっけなくセンター前に運ばれた。初対戦のボンズである。想像以上に速いスイングに面食らった。
「これは打たれるぞ……」
その直後、セシル・フィルダーに左翼へ同点3ランを浴びて、歯車が狂った。
「試合前から緊張していた上に、フィルダーに打たれてパニックになって、あとはもう、何を投げてもダメでした」
ジェシー・バーフィールドにも左翼に被弾し、瞬く間に5点を失った。歯止めは利かない。9回。今度はグリフィーJr.に右翼ラッキーゾーンに放り込まれ、再びボンズの打席が巡ってきた。
覇気を失った高めの速球は完璧に打たれ、西日に照らされながら右翼席の中段に達した。のちにMLB歴代最多の762本塁打を記録することになる26歳の、日米野球初アーチである。
今中は茫然と立ち尽くすしかなかった。
「打った瞬間、ピンポン球みたいに飛んでいくなあと。僕は緩急で揺さぶるタイプでしたが通用しない。球をずっと待っていて、体を泳がそうとしても泳ぎませんでした」
この日、速球もカーブも打たれてホームランになった。リードする西武・伊東勤に覚えたてのフォークを要求する余裕などなかった。2回を8安打8失点。高卒2年目で10勝を達成した余韻は吹き飛んでいった。
「星野さんに真っすぐしか投げさすな、って言われてるんや」
痛打されながら、ベンチが目に入る。
眉間にしわを寄せる星野仙一監督(全日本コーチ)の顔を見てしまった。
「ヤバイ……。戻りたくない……」