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「投手はやめろ、打者になれ」落合博満の助言に「責任取って」…愛甲猛を覚醒させた“三冠王の徹底指導”「あの落合さんが新聞紙を丸めてトスを…」
posted2024/06/28 11:05
text by
長谷川晶一Shoichi Hasegawa
photograph by
KYODO
「投手はやめろ、打者になれ」「失敗したら、責任とって下さいよ」――こんなやり取りをきっかけに、落合博満による愛甲猛への徹底指導が幕を開けた。甲子園のスター投手を打者に転向させる“異例の計画”はなぜ成功したのか? 23人の「異端な野球人」に直撃した『プロ野球アウトロー列伝 異端の男たち』(大洋図書)より、一部を抜粋して紹介します。(全2回の2回目/前編へ)
原辰徳、石毛宏典と並ぶドラフト注目選手に
高校3年夏、愛甲の在籍する横浜高校は全国制覇を成し遂げた。
「結果的に優勝はしたけど、オレの中では準決勝の天理(高校)戦がもう限界でしたね。決勝の早実戦はまったく肩が上がらなかったんで。最悪だったのが、決勝前日に監督の配慮でプロ野球チームのトレーナーの方にマッサージしてもらったんだけど、普段、そんなケアなんかしたことないから、決勝当日は揉み返しがひどくて、さらに調子が悪くなっちゃって(苦笑)。監督としては僕と心中するつもりだったようだけど、結局はリリーフを仰いで何とか優勝できた。それが実際のところですね」
このとき、高校野球を愛した人気作詞家の阿久悠は、彼の名字をもじって「愛しの甲子園」という詩を贈っている。一躍、全国区の人気者となり、80年のドラフトでは原辰徳(東海大)、石毛宏典(プリンスホテル)と並ぶ注目選手となった。
「とにかくプロに入って金を稼ぐということだけを考えていたから《大学進学》という選択肢はまったくなかった。社会人野球からは東芝、日産、ニッカといろんなところから声がかかっていたけど、すべて監督さんに任せていましたね」
元々は読売ジャイアンツファンだった。しかし、地元の大洋ホエールズのスカウトが早くから注目してくれていたことに恩義を感じていた。一方で、プリンスホテルの総支配人であり、西武ライオンズの球団副社長との間にも、愛甲は太いパイプを持っていた。