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野村克也が怒った「何しとるんや」門田博光との関係…170cmの無名選手が“歴代3位の本塁打数”を打つまで「飛んでくるな…」元同僚が語る“恐怖心” 

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岡野誠

岡野誠Makoto Okano

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posted2024/06/18 11:02

野村克也が怒った「何しとるんや」門田博光との関係…170cmの無名選手が“歴代3位の本塁打数”を打つまで「飛んでくるな…」元同僚が語る“恐怖心”<Number Web> photograph by KYODO

170cmの体躯で、プロ野球歴代3位の通算567本塁打を放った門田博光

「試合前、バッターボックスから2メートル前に立って、打撃投手に全力で投げさせ、必死に打っていた。私には信じられなかった。普通は120キロくらいのボールを気持ち良く打って、試合に臨む。ロッテでも他のチームでも、そうでした。でも、門田さんは体感で140キロくらいの速球を打ち返していた。前に出て行って、思いっきり投げさせれば、体に当たる可能性もある。逆に、打った球がピッチャーに直撃する確率も高くなる。命がけの練習をしていました」

 同じ時代にしのぎを削ったロッテの落合博満は、速球に対応するために緩いボールをひたすら真芯で捉えた。川崎球場の室内練習場で共に汗を流した水上が言う。

「2人は真逆ですね。落合さんは遅いボールで自分のスイングを固めていった。試合前のフリー打撃でも、落合さんはライト、センター、レフトの順にヒットを打ち分けて、最後にスタンドに放り込む。門田さんは全球ホームランを狙っていた。しかも、速い球を8割くらいスタンドに放り込んでいた印象があります」

44歳で引退するまで

 常識を超える特訓には訳があった。門田の著書によれば、左ピッチャーを苦手にしていた若手時代、野村監督から「遅い始動をしろ」と助言を受けた。野村解任後、門田はその意味を理解した。近鉄の石本貴昭と対戦した際、偶然振り始めるタイミングが遅くなった。すると、速球がスローに見え、白球はレフトスタンドへ消えていった。

 実は、門田の命懸けの練習は左投手対策も含まれていた。当時の南海には右の打撃投手しかいなかったため、2メートル前に立って、始動が遅くなるようにしていたようだ。2年目の71年、左投手からのホームランは31本中1本(3.2%)しかなかった。だが、初めて本塁打王を獲得した81年には44本中14本(31.8%)に増加。“不惑の大砲”と称えられ、二冠王に輝いた88年も44本中15本(34.1%)を打っている。

 男はホームランを追求するために、1人で熟考を重ねた。そのため、長期間のスランプに陥らずに済んだ。アキレス腱断裂という大ケガはあったが、打者の生命線である腰や手首の故障をせずに44歳まで現役生活を送れた。

〈すべて自分ひとりでやるから、どこが悪いのかがすぐにわかる。点検が早いのだ。だからすぐに治すことができる。チェックする術がわかっていた。ひとりで組み立てているのだから、どこが動かなくなったのかがすぐにわかる。体重が前へいきすぎているということも、自分でチェックできた。〉(前掲書)

相手選手の本音「打球、飛んでこないでくれ」

 それまでの“常識”を迷信に変え、独自の練習で頂点に立った男の打球速度は凄まじかった。ショートでダイヤモンドグラブ賞を受賞し、守備に自信を持っていた水上でさえ、「飛んでこないでくれ」と願っていた。

【次ページ】 「群れない、媚びない」門田という男

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