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ビール瓶を手にした長谷部誠32歳「心の底から喜びは湧かないです」落胆する元仲間の肩に手をかけ…“降格→移籍→古巣に勝って残留”の悲哀
text by
ミムラユウスケYusuke Mimura
photograph byTakuya Sugiyama,Dennis Grombkowski/Getty Images
posted2024/05/23 06:02
ニュルンベルク時代とフランクフルト移籍1年目の長谷部誠。両クラブ間を移籍したことで抱えた思いとは
「簡単な決断ではなかったですし、何より、責任を感じています。本当に悩みました。ただ、やはり高いレベルでプレーしたいから、フランクフルトに行かせてもらいます」
〈伝えづらいことこそ、自らの口から説明する〉
2011年に刊行された『心を整える。』が、この年以降に世に送り出されていたら、そんな習慣が書き加えられていたかもしれない。長谷部はそのような誠意を持ち合わせている。
GMが口にした「また、1部リーグで会おう」
バーダーGMからはこんな言葉をかけられた。
「もちろん君の決断は理解できる。また、1部リーグで会おう」
余談だが、バーダーはその後、ハノーファーのGMとなり、2016年1月に山口蛍を獲得している。また、当時のチームには清武弘嗣や酒井宏樹がいた。その後、長谷部とバーダーが同じクラブで働くことはなかったが、狭い世界だ。GMと選手が別のクラブで顔を合わせることもよくある。そういうときに、長谷部のような誠意をもって行動できる人物はリスペクトを受ける。
フランクフルトが長谷部の引退後の指導者ライセンス獲得を全面的にバックアップすることが発表されているが、仮に長谷部が他のクラブでキャリアを終えていたとしても――きっと、そのようなチャンスを手にしていたのではないだろうか。
こうやってニュルンベルク時代を振り返ってみると、改めて気づかされることがある。
ニュルンベルクへ移籍するときも、ニュルンベルクでの最終戦でも、長谷部はリスクを冒した。
当時の日本代表のザッケローニ監督は「勇気とバランス」を持ってサッカーに臨むことが大事だと選手に伝えており、長谷部もそのフレーズをよく口にしていた。
おそらく、長谷部のキャリアを振り返ろうとするとき、多くの人は「バランス」を上手に取る姿を思い出すだろう。
だから、ニュルンベルク時代は長谷部のキャリアのなかで異色なのだ。
ニュルンベルクに行かなければ、これだけ長い間…
「勇気」を持って、ボルフスブルクで積みあげてきたものを手放した。
ニュルンベルクの誠意に応えるため、ブラジルW杯をふいにするリスクを承知の上で、「勇気」を奮い立たせ、最終戦のピッチに立った。
そして、その先に、未来へとつながる道が待っていた。