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「井上尚弥に勝った男」「消えた天才ボクサー」と呼ばれた林田太郎は今…井岡一翔、寺地拳四朗にも勝利した元アマ王者の知られざるボクシング人生《井上尚弥BEST》
text by
森合正範Masanori Moriai
photograph byHirofumi Kamaya
posted2024/05/08 11:02
井上尚弥、井岡一翔、寺地拳四朗という現世界王者3人に勝利した経歴を持つ林田太郎。現在は母校・駒澤大学でボクシング部のコーチを務める
林田いわく「見るからにヤンキーなヤツ」だった。こんなヤツが走れるわけない。林田はそんなふうに考えていた。だが、ヤンキーは颯爽と走り、続くスパーリングでも物怖じせず、喧嘩のようにやり合っている。
「どれくらいボクシングをやっているの?」
林田が尋ねると、ヤンキーは言った。
「俺、まだやり始めて3カ月ぐらいだよ」
その男は岩佐亮佑と名乗った。のちの世界チャンピオンだ。林田、三須、岩佐の3人は、スポーツ推薦で習志野高に入学することになった。
「習志野高の三羽がらす」と呼ばれた高校時代
キクチジムとは打って変わって、習志野高は実戦練習ばかりだった。リングをロープで四つに区切り、軽く手合わせする「マス・ボクシング」を重視する。リング下の後輩が「お願いします!」と次々に手を挙げ、先輩が指名する。まるで相撲の稽古場のようだった。
林田はそこで気づく。しっかりとした構えからの左ジャブ。知らぬ間に菊地の指導が土台になっていたことを。基礎が出来ているため、厳しい練習にもなんとかついていける。
「岩佐はテクニックがあるし三須は速い。あの2人の存在がなかったら、今の自分はない。『三羽がらす』と言われましたが、2人と僕の間にはレベルの差がありましたね」
将来のプロボクシング入りを公言する岩佐。だが、林田にはプロの道やアマで五輪を目指す考えは一切なかった。
「父が自営業でバブル崩壊の後、苦労した時代背景もあって、母が口癖のように『公務員はいいわね』と言っていた。自分も『そこそこ、堅実がいいんだ』と思って、何事においても欲がなかった。そういう育った環境が大きかったかもしれませんね」
“憧れ”だった井岡一翔と大学デビュー戦で激突
高1の夏、地元の千葉・鴨川でインターハイが開催され、林田ら習志野高の1年生はタイムキーパーやゴングを鳴らすなど試合運営の手伝いをすることになった。そのとき、目を奪われた1人のボクサーがいた。大阪・興国高の井岡一翔だった。