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1日10時間の猛練習、300球の投げ込み…《33年ぶりセンバツ出場》福島・学法石川 かつてのエースが語った“ウラ話”「今の子には響かないですよ」

posted2024/03/19 11:02

 
1日10時間の猛練習、300球の投げ込み…《33年ぶりセンバツ出場》福島・学法石川 かつてのエースが語った“ウラ話”「今の子には響かないですよ」<Number Web> photograph by JIJI PRESS

33年前の学法石川高のエース・川越英隆は卒業後は青学大→日産自動車→オリックス→ロッテと歩み2011年に引退。現在はソフトバンクの4軍コーチを務める

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田口元義

田口元義Genki Taguchi

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 33年ぶりにセンバツの舞台に帰ってきた福島の古豪・学法石川高。かつてのチームでエースを務めたのが、現在ソフトバンクで4軍コーチを務める川越英隆氏だ。移籍前のロッテ時代は“令和の怪物”佐々木朗希の指導を担当するなど、指導者としての手腕も確かな川越氏に、かつての甲子園での記憶とイマドキプロ野球選手の育成についても聞いた。《NumberWebインタビュー第1回/後編に続く》

 昨年の秋。川越英隆は母校である学法石川の快進撃を気にかけていた。

 東北大会で1試合、また1試合と勝つたびに「いい試合を続けてほしい」と後輩たちへ健闘の念を送る。準決勝で八戸学院光星に0-1で敗れたものの、翌年から東北地区の一般選考枠がそれまでの2校から3校に増えることもあり、可能性を残してセンバツ発表の1月26日を迎えることができていた。

「絶対に、とまでではなかったんですけど、『選ばれるかもしれない』とは思いました」

 母校の吉報こそリアルタイムで見届けることができず、知人からの連絡で知ったが、やはり安堵する自分がいた。

 33年ぶりのセンバツ。

 川越がエースとして出場した1991年当時の学法石川は、福島最強のチームだった。

33年前の「エースの記憶」

 県内で最も古いとされる私立校は、67年に柳沢泰典が監督に就任してから頭角を現し、76年のセンバツで甲子園初出場。「ガクセキ」と呼ばれ名を高めたチームは、福島の覇権争いで常に中心にいた。

 高校進学に際し「県外志向」だった神奈川県出身の川越ではあるが、学法石川はファーストチョイスではなかった。

「神奈川だと強いチームは多いんですけど、どの高校が甲子園に行けるかわからないところがありまして。自分は親元から離れて自立したいという気持ちもあったんで、県外の強豪校を探していました。だから、最初から学法石川というわけではなかったんです」

 川越と学法石川を引き合わせたのは、ちょっとした偶然がきっかけだった。父親と繋がりのある同校職員から「野球部の練習会がある」と知らされ参加。そこで、柳沢の目に留まり入学する運びとなったのである。

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