熱狂とカオス!魅惑の南米直送便BACK NUMBER
「最初はケンカが強くなれると(笑)」問題児を変えた日本人女性コーチ「ユーコの親身な指導が…」ブラジル女性金メダリスト柔道家の感謝
text by
沢田啓明Hiroaki Sawada
photograph byAFP/JIJI PRESS
posted2023/11/25 18:31
リオ五輪を目指す過程のラファエラ・シウバと藤井裕子さん
「まあ、そうね。フットボールが大好きだったけど、女子のチームがなくて、男子のチームに入っていた。でも、女子は公式戦には出場させてもらえないの」
――なるほど。長いことブラジル代表のエースで、6度も世界年間最優秀選手に選ばれたマルタと同じですね。
「そうなのよ。それで、父親の勧めでラケルと一緒に柔道を習い始めた」
――最初はあまり練習熱心ではなかったとか。
「全く。練習では他の子にちょっかいを出したりしてふざけてばかり。というか、ふざけるために練習に行っていたの」
近所で遊んでると、麻薬組織の抗争で銃撃戦が
――でも、ふざける場所は他にもあったのでは?
「学校は厳しくて、とても無理。家では、ふざけていると親からスリッパで殴られる。近所で遊んでいると、頻繁に麻薬組織の抗争があり、銃撃戦になったりして非常に危ない。それで、レアソンの練習でふざけることにしたの(笑)」
――それでは、なかなか上達しなかったでしょうね。コーチたちも困ったのでは?
「確かに困っていたわ。私だけ帯の色をなかなか変えてもらえなかったり、外部の団体から寄付された新品のキモノ(注:ブラジルでは、柔道着のことをこう呼ぶ)を私だけもらえなかったり……。レアソンでは学校の勉強も一生懸命やるように言われるんだけど、小学校5年生を4度も落第したり……」
――5年生を、4度落第ですか……。
「そう。勉強が大嫌いだったの……。それに、ドイツの慈善団体からの招待で数人がドイツへ遠征することになったんだけど、私は練習態度や素行が悪かったので選ばれなかった」
――ラケルと同じように、奨学金をもらって高校へ行ったのですか?
「入学はしたのよ。だけど、私が仲良くしていた子が同級生に殴られたの。それで、私がそのいじめっ子を殴りつけたら、あっさり退学よ。でも、私が殴った子は退学にならなかった。それは、裕福な家庭の子で、授業料も払っていたからなの」
ユーコはとても親身になって指導してくれた
――聞いているだけでめまいがするようなエピソードの数々ですね。でも、以後は改心して柔道の道に邁進したのでしょうか?
「そうね。さすがに私も『これじゃあまずい』と思って、柔道で自分の人生を切り開こうと心に決めた。真剣に練習をしたらメキメキ強くなって、2011年、19歳のときに初めてブラジル代表に選ばれた。パリで行なわれた世界柔道選手権で、準優勝(注:優勝は佐藤愛子で、翌年のロンドン五輪で優勝した“野獣”こと松本薫は3位だった)。これで大きな自信をつかんだわ」
――そして、2012年ロンドン五輪の女子57kg級のブラジル代表にも選ばれたが、優勢に試合を進めていた2回戦で、相手の足を掴んで技をかけたと判定されてまさかの反則負け。人種差別的な誹謗中傷を浴びます。