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「バラエティ番組で胸をさわられて…」あのアイドルレスラーの告白…府川唯未(47歳)が今明かす“芸能活動の苦悩”「昔の映像を観ると…」
text by
伊藤雅奈子Kanako Ito
photograph byL)東京スポーツ新聞社、R)Takuya Sugiyama
posted2023/11/23 11:00
1993年に全日本女子プロレスでデビューした府川唯未。左写真はデビュー戦での一枚
芸能活動が増えていった時の心境
――「戻ってこいよ」という、北斗さんなりのエールだったのかもしれないですね。さて、復帰した翌96年は怒涛の芸能活動をすることになりました。どんな心境でしたか。
府川 先輩の目がすごく気になっていたので、怖かったです。試合に出れば、負ける。実力がともなっていない。実際に、「そんなこと(芸能の仕事)をするんなら練習すれば?」っていう声も聞いていたから、行き先がわからない特急電車に乗せられてしまった感じ。飛び降りることもできない。進むしかない。けど、そこに自分の意思はなくて。しばらく経ってからですね、(試合の出順が)後半戦になって、先輩と当たらせていただくことが増えたころに、プロレスをやれている実感が湧いてきたのは。先輩から、試合の評価をしていただけるようになったんです。
――どんな評価でしたか。
府川 「打たれ強い」「すぐに壊れちゃいそうなのに、壊れないんだよね」とか。そう言っていただけて、自信につながっていって、このころも芸能活動を並行してやらせていただいていたんですけど、役割がわかったんですね。自分には自分の役割があるということが。
――具体的にいうと?
府川 全日本女子プロレスには自分があこがれた選手がたくさんいて、自分が外で活動することで注目されて、会場に来てもらえたら、「これが全女だ!」っていうのを見せられる。お客さんを呼ぶことはできるんじゃないかと思いはじめて、それが自分の役割として、会社がそういう仕事を与えてくれるのであれば、それもがんばろうと思いました。それ「を」じゃなくて、それ「も」ですね。
プロ意識が芽生えた“サルの着ぐるみ”事件
――復帰後のたった1年間でいろんなジャンルの仕事をしていて、初のビデオ「蕾 ~TSUBOMI~」では、ブルマ姿になっているんですよね。
府川 ブルマは、あんまり抵抗がなかったんですよ。なんでかっていうと、(プロレスの試合では)いつも水着なんで。気になったのはそこではなくて、一度サルの着ぐるみを持ってこられたことがあったんですよ。その瞬間、思わず「えっ、ヤだ~」って言っちゃった。わかります?
――どういう意味の「ヤ」なんだろう。
府川 「何、これーっ!? 恥ずかしいっ!!」の嫌です。やりたくないという意味ではなくて、会話のひとつに過ぎなかったんですけど、マネージャーさんにすごく怒られて。「あなた1人のために、どれぐらいの大人が動いてるかわかってる?」って。深く考えた言葉ではなかったし、嫌じゃないから、用意されていたものを普通に着ましたけど、あのときの感情は、これはお仕事で、19歳の私に対してこれだけたくさんの大人が動いているんだと。たとえば写真集でも、自分の写真集だけれども、そこには何人もかかわっていて、どれだけの動きがあってと考えるようになっていきましたね。最初にそれを叩きこまれたのは、よかったですよね。
――早い段階でプロ意識がめばえたわけですね。
府川 最初にガツンと教えてもらえたので、勘違いすることなく進めたというか。ただ、そのあとも自分のなかでは、「嫌だと言ったわけじゃなかったのにな」っていうのは残ってましたけど。