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“2軍”と言われたアジア大会で西川潤は、PSGのイ・ガンインと大学生の戦友から何を得たか「ハッとさせられた」〈パリ世代インタビュー〉
text by
飯尾篤史Atsushi Iio
photograph byAtsushi Iio
posted2023/11/09 11:06
サガン鳥栖で奮闘する西川潤。パリ五輪世代としての意気込み、ここまでのキャリアについて語ってもらった
「彼らはいい意味で練習慣れがなくて、どんな練習でもモチベーション高く取り組んでいた。それにプレーに迷いがないというか。アピールしてやろうって、貪欲に仕掛けていくんです。そんな姿勢を見ていて、ハッとさせられるところがありました。自分もプロになる前、こういうプレーを選択していたよなって。自分には欠けてきていたものに、気づかせてもらえたというか」
セレッソで洗礼を浴び、鳥栖で身につけた新境地
桐光学園高のエースであり、U-17ワールドカップに出場した10代の頃の西川は、2トップの一角を担い、危険な香りを漂わせるアタッカーだった。
チームの勝敗の責任を負い、ここぞ、という場面でゴールを決める――。
それこそが、高校でも代表でも10番を背負う西川の魅力だった。
その後、セレッソ大阪でプロの洗礼を浴び、期限付き移籍をした鳥栖で揉まれるなかで、プレーの連続性や強度を身に付け、ライン間でボールを引き出したり、ビルドアップを助けたりするなど、オフ・ザ・ボールの動きを磨いてきた。
アジア大会でも、インサイドハーフの位置から最終ライン近くに顔を出し、“ビルドアップの出口”になったり、バックステップを踏んでパスコースを創出するなど、“気の利くプレー”を披露していた。
「プロに入った頃はできなかったんですけど、そこは鳥栖に来て成長した部分です。コーチからアドバイスをもらったり、いろんな映像を見せてもらって、ここでこういうステップを踏んだら受けやすいよねとか、このタイミングで降りたらこのスペースが空くよねって。そういうことが頭の中で整理されてきました」
もともと足もとの技術が高いから、頭の中と役割が整理されれば、ボールを受けて的確に散らすことができる。そのプレーは、まるでボランチが本職の選手のようだ。
北朝鮮戦で現れた“西川の意識の変化”
だが、その一方で、自身の特長が薄れていることに、本人も気づきつつあった――。
「ビルドアップに関わることも大事ですけど、それにフォーカスしすぎていたんですよね。最近、誰でもできるようなプレーを無難にこなしているだけじゃないか、って感じるようになって。それじゃ、自分の良さを見せられないよなって。プレーの幅を広げるのは大事だけど、両方使い分けるというか、もともとの良さを失っては意味がない。そこに気づき始めたときに、アジア大会を経験して、大学生から刺激を受けて。変えなきゃいけないなって」
こうした意識の変化がピッチ上にはっきりと現れたのが、北朝鮮との準々決勝だった。