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プロ野球PRESSBACK NUMBER
桑田真澄が涙の訴え「巨人に行くしかないんです」KKドラフトの“悲劇”はなぜ起きたのか? PL学園スカウトが責められた「どうしてこんなことに」
text by
柳川悠二Yuji Yanagawa
photograph byJIJI PRESS
posted2023/11/01 11:03
1985年ドラフト会議の様子。桑田真澄は巨人、清原和博は西武に指名された
「あの日のドラフトに関して、僕は無論、タッチしていない。僕はね、桑田は早稲田大学に行くとばかり思っていた。夏の甲子園が終わったあと、『早稲田大学の試合が見たい』というから、東京六大学リーグの東大戦に連れて行ったこともありました」
2カ月前の桑田「早稲田ってこんなに弱いんですか…」
ドラフト会議の約2カ月前となる85年9月21日の試合だった。井元は試合を観戦せず、試合が終わるまでの間はPLのOBであるプロのスカウトらと神宮球場脇の喫茶店で時間を潰していた。この日の試合で、早稲田は東大に完封負けを喫する。井元のもとにやってきた桑田は、開口一番、こう告げた。
《早稲田が負けたんです。早稲田って、こんなに弱いんですか……》
井元が回想する。
「とにかくガクッときた様子で、言葉が続かなかった。今になって思えば、あの試合がその後の桑田の決断に影響を与えたかもしれない。だけど、あの日の僕はそれでも早稲田に行くと信じて疑っていなかった」
ドラフト直後の“喧騒”
当時のドラフト会議は午前中に行われていた。井元は波瀾に満ちた会議が終わると、心を落ち着けるように横になり、いつしか眠りに落ちた。そこに慌てた様子で飛び込んできたのが、桑田だった。
《先生、僕は巨人と密約なんかしていません》
なんとか落ち着かせて桑田を帰すと、少しの時間を置いて、今度は清原の母親が鬼の形相で部屋に入ってきた。
《どうしてこんなことになるんですか》
KKに携わる全ての人間にとってまさかの展開だった。運命のドラフトから数日後、喧騒がいまだ収まらない状況の中、桑田は井元を再び訪ね、涙を流しながらこう告げた。