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「海外に行ったら代表に呼ばれない」“日本バレー鎖国時代”に加藤陽一はなぜ海を渡ったのか? 石川祐希、高橋藍へ続くイタリア挑戦の系譜
text by
弓削高志Takashi Yuge
photograph byAFLO SPORT
posted2023/10/17 11:00
日本代表のエースとして活躍した加藤陽一。世界最高峰イタリア・セリエAのクラブに自ら売り込み、当時は珍しかった海外移籍を実現させた
――念願叶って入団したのがセリエAのトレヴィーゾでした。当時のトレヴィーゾといえばイタリア代表のエースだったサムエレ・パピ(現ギリシャ男子代表副監督)やアレッサンドロ・フェイ(現セリエAピアチェンツァ強化部長)、アルベルト・チゾッラ(2022年現役引退)ら錚々たる顔ぶれが揃うトップクラブでした。
加藤 昔、チゾッラとはやり取りをしていて、僕がどうしてもVリーグに昇格したかった(09~14年在籍の)つくばユナイテッド時代に、彼を日本に呼べないか動いたこともあったんですよ。
2002年当時のトレヴィーゾというチームは、世界のトップチームでした。もちろんレギュラーとして活躍できるとは思っていなかった。でも、プロのバレーボール選手が集まる環境そのものが刺激でしたし、イタリアのナショナルチームのメンバーでもある彼らと毎日練習できるということ自体がすごく自分にとっては必要でした。
日本代表に呼ばれないかもという不安はあっても、それより(海外で)プレーや精神的なレベル、自分への評価を上げたいと思っていたので、ナショナルチームがどうこうというのは考えないようにしていました。まずは今いる現場のイタリアで自分を評価してもらいたいという気持ちが先に来てましたね。
(続く)
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スマホもチャットアプリもない当時の欧州生活……第2回では、まさかの低待遇に新婚早々、車を売って生活資金にあてた“波乱万丈のイタリア挑戦”を語っている。