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「秀太さん、苦しいです」横田慎太郎24歳は涙を流して引退を決めた…「ボールが二重に見える」窮地の横田を救った、田中秀太からの一言

posted2023/09/16 11:02

 
「秀太さん、苦しいです」横田慎太郎24歳は涙を流して引退を決めた…「ボールが二重に見える」窮地の横田を救った、田中秀太からの一言<Number Web> photograph by Hideki Sugiyama

2016年、一軍でプレーした横田慎太郎。翌年、脳腫瘍の診断を受けた横田は闘病を続け復帰を目指し、2019年のシーズンを迎える

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横田慎太郎

横田慎太郎Shintaro Yokota

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Hideki Sugiyama

 9月14日に優勝を決めた阪神タイガース。歓喜の輪の中には背番号24、今年7月に亡くなった横田慎太郎元選手のユニフォームがありました――。プロ入り後に脳腫瘍の診断を受け、タイガースの選手として闘病を続けた横田慎太郎さん。復帰してから3年目の2019年、引退を決断した瞬間を著書『奇跡のバックホーム』(幻冬舎)より抜粋してお届けします。(全3回の第2回/前回は#1へ)

おれ、何やってんだろう……

 たしかに身体と体力は以前に近い状態になりました。でも、目の状態だけがなかなか回復しなかった。視力は前と変わらず左右とも1・5です。でも、退院して1年以上たっても、球が二重に見える、視界がぶれるといった症状は続き、発病前と同じ状態には戻らなかったのです。

 バッティングピッチャーの投げるボールやノックのフライが二重に見え、距離感もつかめない。角度によってはボールそのものが見えにくくなる。自分の打った打球すら視界から消えてしまうのです。ただの一球もボールがきれいに見えることはありませんでした。

 だから練習メニューも変わらない。練習はできても試合には出られず、ベンチで声を出すだけ。実戦どころか、シートバッティングも「危ないから」とさせてもらえず、特別扱いは続きました。

 しかたのないことだとは重々わかっていました。監督やコーチだって、できることならやらせてやりたいと望んでいたと思います。

 でも、さすがにそんな状態が2年以上も続くと、どうしてもこんな感情がわいてくるのを抑えられませんでした。

「おれ、何やってんだろう……」

心は折れかけ、追い込まれる日々

 人一倍練習はしていたのですが、夏ごろからふとそんな気持ちがわいてきて離れなくなりました。

 眠れない夜が続く。いろいろ考えてしまうのです。すると嫌な汗が流れてきて、ようやくまどろんで目が覚めると、枕がびっしょり濡れている。そんな夜が何日も続き、ひどい便秘にも悩まされました。

【次ページ】 こんなことをしていても無駄なのではないか

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