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「私は丸刈りが好きだ」前時代的“だから”好きだった金足農、それでもナゾな髪の強制…なぜ高校野球の髪型論議はズレるのか?「経験者の告白」
text by
中村計Kei Nakamura
photograph byNanae Suzuki
posted2023/09/03 17:01
「私は丸刈りが好き」。あるノンフィクション作家の回想(写真はイメージ)
問題の本質は、丸刈りか否かにあるのではない。人権の世紀と呼ばれる現代社会において、自己表現の一部といっていい髪型を、強制的に極端な短髪に統一するという思考が外の世界の人間からすると極めて異常に映るのだ。
その本質に気づいていない状況は、この夏も相変わらずだった。慶応のサラサラヘアに注目が集まると、慶応スタイルは「坊主否定派」と捉えられ、議論が「坊主は悪なのか」という、誰も言っていない方向へ流れていくケースが散見された。そのズラし方も結局のところは、強制的に丸刈りにすることの理にかなった解答を持っていないがゆえの「逃げ」のようにも映った。
ひと昔前ならともかく、現代において、丸刈りを強制することの誰もが納得する合理的な理由などもはや存在しないのだ。もし、そのような理由があるのなら、頭髪を自由にしたところで選手が自ら丸刈りにするだろうし、大学生やプロ野球選手も丸刈りにしているはずだ。
自由でも「坊主を選ぶ」球児
今大会、慶応とともに4強入りした土浦日大は、前回甲子園に出場した2018年時点では今ほど「サラサラ」ではなかった。2016年に小菅勲が監督に就任し、髪型を自由にしたのだが、当時はまだ半分以上の選手が丸刈りだった。ある選手はこう語っていたものだ。
「寮生活で、なかなか髪を切りに行けないので。バリカンで自分たちで刈ってます。坊主の方が楽なんで」
その気持ちはよくわかる。私も同じ立場だったら、自主的に丸刈りにしていたような気がする。
選手の意思を確認すると、土浦日大の丸刈りにまったく違和感を覚えなくなった。同じ丸刈りでも強制的にそうさせられているのとは違って、彼らの髪型はクラシックだがそれもまた自由の象徴だったからだ。