マスクの窓から野球を見ればBACK NUMBER
「あっ、丸田君」「あれは延末君だね」…なぜ慶応高の選手は覚えやすい? 慶応野球が示した“エンジョイ”でも“髪型”でもない学生野球に「なかったもの」
text by
安倍昌彦Masahiko Abe
photograph byNaoya Sanuki
posted2023/08/24 17:03
107年ぶり2度目の甲子園優勝を決めた慶応高校。「エンジョイ・ベースボール」と言われるが、その本質は…?
ここ数年、高校野球の実戦の現場でも喜怒哀楽を隠さない球児たちが増えてきた。
だが、慶応高の選手たちの「それ」は、球場での大応援とは異なり決して何かが弾けたような大騒ぎではない。もっとおだやかで、自然で、日常的な喜怒哀楽がダグアウトの中に満ちている。
だから、自然発生的に「笑顔」が生まれる。とってつけたような作り笑顔じゃないから、今の人たちにスッと受け入れられている。そんなふうに見えてならない。
「高校野球ってもっとピリピリ感がないと、『らしくない』って思われるかもしれないですけど、でも僕ら、いつもこうなんですよ」
そんな声が聞こえてきそうなほど、程よく肩の力の抜けた日常感がここちよい。髪の長短なんかより、よっぽどその自然な表情こそが慶応の新しさなのだ。
ならば、そうした慶応高の選手たちの不自然さのない喜怒哀楽と、世にいう「エンジョイ・ベースボール」の本質とはいったいなんだろう。少なくとも決して、チャラチャラと笑いながら野球をすることではない。私は森林貴彦監督が練習グラウンドで笑っている姿をほとんど見たことがない。
私はこれまで、慶応義塾大学野球部の学生や、指導者の面々、OBまで含めて関係者にたくさん話を聞く機会があった。そうした交流を振り返ってみると「エンジョイ・ベースボール」の精神の一端が見えてくる。
慶応野球関係者への取材で感じた「本質」
まず、慶応の関係者たちは、野球についてとてもおしゃべりである。
これは不思議と絶対の共通項だと思っている。饒舌で能弁で、それなのに決して決めつけた言い方をしない。慶応の関係者たちが持っているのは「たくさんの結論」ではなく「たくさんの推論と仮説」である。
だから人の話を聞く耳を持っている。人の推論や仮説にも、とても興味を持ってくれる。その上で自身の説を繰り出すので「語り合い」になる。そこで「こうなんじゃないか」「ああなんじゃないか」と、みんなが知恵を絞って、結論に向かおうとする。